ライオンにもオオカミにもなれなかった自分へ【Vの話】

ここ最近、周りの色んな人と話したり接したりして思う事がある。
俺は、草食・肉食で分ければ、たぶん草食動物の側の人間だ。

一昔前流行った○○系男子、とかのレンアイ話ではない。
実際にベジタリアンなのかとか、そういう話でも勿論ない。

人生の送り方と言うか、心の持ちよう、生き様みたいなところで、俺は草食獣なんだろうなあと感じる。

今日はそんな話。

※ちょっとくどい言い回しとか、カッコつけた表現とかしてます。
 胸焼けする人は胃薬を用意してね。

・BEASTARSに思う「種族」の溝

板垣巴留先生の名作、アニメにもなったコミック「BEASTARS」は、動物たちが人間のように二足歩行し、人間の様な文化を形成して、人間の様に思い悩みながら生きていくお話。
逃れられない「本能」や「種族の壁」という大きな問題に直面し、苦しみながらもそれに立ち向かうハイイロオオカミのレゴシが主人公だ。

とても面白いし、感動もしたし、友人にもぜひ薦めたいと思う傑作だが、主人公のレゴシに共感できたかというと、△だった。
まあ、オオカミが擬人化した主人公である以上、大きく括ればファンタジー作品であるから、当然と言えば当然かもしれない。

しかし、この「BEASTARS」という作品は、鳥肌が立つほど生々しく、それぞれのキャラクターの精神性や感情、苦悩が描写されており、単なる擬人化ファンタジーで片付けられない魅力がある。
「ハイイロオオカミが、トラが、ヒグマが人間のように社会生活を営んでいれば、こんな風に考えて、こんな風に生きるんだろうな」と想像できてしまう。そこに、この漫画の奥深さ、面白さが凝縮されている。

出てくるキャラクターは、皆それぞれ獣の姿をしていながら、悲しいほどに「人間」だった。悩み、苦しみ、恐れ、妬み、憎む。
そんな感情の機微が細部まできっちりと描き尽くされていた。

話を戻そう。
なぜ俺が主人公のレゴシに今一つ共感できないのか。

それは、レゴシが「強い側の人間でありながら、弱者に寄り添おうとする」からだ。(物語が進むにつれ心情に変化はあるが)
レゴシは大型肉食獣でありながら、草食動物を見下さないし、餌と思ってもいない。肉食獣の「肉が食べたい」という感情には拒否反応を示し、小型の草食獣に恐れられないように背を丸め、大きな声を出さないように気を配る。

その思想自体は素晴らしいし、俺がレゴシの様な強い人間だったら同じことを考えるかもしれない。
しかし、現実に俺は他者から「強い」と認識されるような人間ではない。
隠そうとするような強さは元々持っていない。
むしろ、自分の中のものを全てさらけ出して、必死に大きく、強く見せようとする。
その生き様は、捕食されないように自分を脅威に感じさせたり擬態したりする、草食獣そのもののような気がする。

シンプルに、俺はレゴシのように強くないから共感できないのである。

・草食の「危険察知能力」

兎が耳をレーダーにするように、馬が視界の外である真後ろに気配を感じたら思い切り蹴飛ばすように、草食獣には危険察知能力がある。

自分が何かの活動をする時、誰かの活動を見ている時、
「こういう場合はどうしよう」
「こんな問題が起こるかもしれない」
「こんなことを言われたらどうするんだろう」

と思ったりするのは、臆病な自分の「危険察知」なんだと思う。

危険察知と言えば聞こえはいいが、新しい事を始める前にビビッてしまっている場合もあったり、進み始めて少しでも不安がよぎると足を止めて進めなくなってしまったり、戻ってしまったりするという弱い要素もある。

それに近しい感情を持ち、さらに表に出しているファンの人たちはこう呼ばれている。

「杞憂民」

こう言われる人たちの多くは、純粋な気持ちで推しライバーがトラブルを起こす、巻き込まれることを心配して発言していると、個人的には思っている。
その感情そのものは、否定するべきものではない。
しかし、その言葉によって言われた側のライバーが不安を煽られたり、無碍に出来なくて従って活動を保留してしまうという側面もある。

俺自身、口に出すことは少ないが、誰かのツイートや配信内容、発信するコンテンツを見て「おお…これって大丈夫なのかな…」と不安になる事がある。杞憂民予備軍といったところか。

そんな風に、自分に対して自嘲なのか自己弁護なのかわからないカテゴライズをしたところで、世間も世界も自分も、何も変わらない。

けれど、こういう文章を書きたくなってしまう。

自分の牙は文章を書くことだ、なんてカッコつけられるほど達者なものでもないけれど、自分の中に「納得」を生む作業として、俺には必要だと思っている。

・群れを統べる肉食獣、孤高の肉食獣

自己陶酔で二日酔いになりそうなので、本題に戻る。

俺から見える「才能のある人達」は、間違いなく肉食獣だ。
活力、行動力、判断力、色んな「力」の象徴だ。

ネコ科・ライオンの様に周囲を惹きつけ、チームの中心になるような。
イヌ科・オオカミの様に孤高の魅力を醸し出し、人の視線を集めるような。

そんな存在が、俺はずっと眩しかった。
もちろん、彼らに悩みが無いなんて、そんなわけはない。

俺の様な草食獣と同じ、もしくはそれ以上に、そして全く別種の悩みを抱えて生きてきたはずだ。

注目される悩み。妬まれる悩み。「上には上」という、才人同士の悩み。

Vtuberの中の「肉食獣」たちは、叩かれても、炎上しても、失敗しても、何度夢への妨害に遭ったとしても、自分の才能を信じてひたすらエネルギッシュに進んでいる。

それは、そう見えているだけだ。

彼らはもしかしたら、分かっているのかもしれない。
自分たちは肉食獣で、自分の持つ他者を魅了する要素は「強さ」だという事を。
「弱さ」を見せた瞬間、他のライバル肉食獣にノド元を食いちぎられる。
アンチファンという草食獣の群れに影から襲撃される。

それをわかっているから、弱っても悩んでも苦しくても、それを表に出さずに笑顔でいる強さを誇示し続ける。

過激な内容で配信する人もいる。
アウトローな雰囲気を纏う人もいる。
それが人気になる世界があるのは、そこに「強さの証明」があるからだ。

人は、強いものと美しいものには憧れてしまう生き物なのだ。

弱さを素直に見せてしまう「いい子ちゃん草食獣」が戦っていくには、人気商売の世界はあまりにもシビアで、リアルな弱肉強食だ。

だからこそ、俺は肉食獣である彼らに心惹かれ、彼らのファンになる。
自分が持っていない牙を持っている彼らを羨み、妬む。

群れて気が大きくなっている肉食獣たちは、見ていて気分が悪い。
しかし、同じように群れて陰で人気者を悪しざまに言う草食獣たちも、同じか、それ以上に気色悪く感じる。

弱さを免罪符に、戦っていないものが戦っているものを罵倒する。
アニメ業界も絵師界隈も歌い手界隈もYoutuberもVtuberも、そんな世界だ。

人気ライバーを目指す人の中には、俺と同じように根が草食獣である人も多くいる。少なくとも、俺が見ていてそう思う。

草食獣系ライバー(と勝手にカテゴライズするが)の人達にもスポットライトが当たるような、そんな時代が来てほしい。

・負けるな、草食獣系ライバー、そして草食獣系ファン

配信の企画を考えても、何か言われるのが怖くて実行できない。
SNSで強い言葉を吐こうとしても、臆病になって下書きに埋もれさせてしまう。
思考の負のループがぐるぐる巡り、限界がきて弱音を吐きだしてしまう。
眩しいほどの魅力を持つ人気者を直視してしまい、自分と比べて落ち込んでしまう。
そして、それらを誰にも相談できない。

俺は、そんな弱さを持ったライバーが、ファンが、とても好きだ。
肉食獣に生まれなかったのは仕方ない。
どんなに妬んだって羨んだって、明日急に牙が生えてくるわけじゃない。
炎上を恐れない(様に周囲に感じさせる)強いメンタルを手に入れられるわけじゃない。

数少ない、この記事を読んでくれた人の中に、
「自分は草食獣系ライバーだ」
「自分は草食獣系ファンだ」

と思う人がもしも、いるのなら。

身を寄せ合って、力を合わせて、精一杯Vの世界で生きていってほしいと思う。

草食獣同士で力を合わせるのもいい。
肉食獣の力を借り、手を取り合うのもいい。

けれど、孤独になるような生き方はしないでほしい。
そのために、人と繋がる能力を最優先で身に着けてほしい。

この記事に、あなたがもしも一度でも頷くことがあったなら。

草食獣がひとりで生き抜くのは、本当に大変だから。


最後に。
俺は草食獣の中でも、同じ草食獣を守れるような獣になりたいなあ。
例えばサイとか、ゾウとか。

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