【毎日投稿】2日目・ポジショントーーーク

いつまで続くのか、毎日投稿。
こういったものを張り切って始めてもあまり続いたためしはないので、気負わずに気楽に書いていこうと思う。

・視点に振り回されすぎ問題

歴史モノの漫画やアニメが好きだ。
特に幕末系のやつは好きで昔けっこう読んでた。

ただ、感情移入しすぎなのか何なのか、作品ごとの描写にまんまと振り回されすぎている自分にふと気づく。

幕末モノで言うと、坂本龍馬を主人公とした作品を読んだとする。
長州藩の高杉晋作はつかみどころのない天才だし、桂小五郎はイケメンだし、久坂玄瑞は熱い心を持った志士だ。
高杉の奇策には「おお!」ってなったし、久坂が禁門の変(だったっけ?)で自害して果てるところなんかじわっときた。
これが、新選組サイドを主人公とした作品を読むとコロッと変わることがある。
高杉は底の知れない悪のカリスマ、桂は小ズルい政治屋、久坂は過激なテロリスト、みたいな感じで描かれていたりする。

まあ漫画ってのはそういうもんだし、歴史ってのも大体そういうもんだ。
坂本龍馬を「日本を変えた英雄」って見る人もいれば「時代の流れに乗っただけの商売人」って見る人もいる。

俺はと言うと、作品ごとのその場のライブ感にあてられて「おお!高杉さんかっけえ!長州頑張れ!」って思ったり「高杉め…厄介な敵だぜ…新選組頑張れ!」って思ったりしてる。
自分の思想とかが弱いという事を、こういうエンタメコンテンツを楽しんでても感じてしまう。

でも、Vtuberとかのファンも結構そういう人多いでしょ。
嫌いな活動者の失敗を叩く時には
「世間的にダメ」
「一般的に考えてあり得ない」
「これは正当な批判」
とか言うけど、自分が推してる人が不祥事起こした時ばっかり
「部外者が口出す事じゃない」
「ちょっとの事で騒ぎすぎ」
「こういうアンチって成功者に嫉妬してんだな」
とか言う。すぐ言う。

要は感情の問題なんだよね。
俺が新選組漫画読んでる時に「久坂め!ちくしょう!」って思うのも、坂本龍馬漫画読んでる時に「久坂先生ェ…死なないで…!」って思うのも、その作品を一番楽しめるように感情移入してるってだけ。
フラットな感情の俺が久坂玄瑞が好きか嫌いかは、その作品を楽しんでる時にはあんまり関係ない。作中に描写されている久坂玄瑞が好きかどうかだ。

だから、批判者も自分の意見を「これは冷静に考えた正当な批判」て思うのはやめた方がいい気がするよね。
結局、人間である以上感情は含まれんだから。
「叩きたい」って感情が入っちゃってんだから。

電車の優先席が埋まってて近くに高齢者が立ってたらどうしますかって話も、深く考えずに「優先席が必要なさそうな人を注意して高齢者に譲らせる」って正論ぶっぱする人いるけど、現実は違うでしょう。

その座ってる人がすげー怖そうな人だったら注意出来ない人は多い。
怖い上司とか先輩だったら「どきましょうよ」って言えないケースもある。
それとは別に、注意してみたらちょっと見は分からない人工関節の人とか義足の人とかだったりする事もある。

「無視する」より「注意する」の方が理屈としては正しいけど、現実にそれを実行したとして「正しい行動が理想的な結果を生み出す」かどうかは状況によるよね。電子タバコ注意した学生がボコられたやつとか。

「冷静に考えて」って言いながら誰かに正論をぶつけてる人は、だいたいマウント取りたいスイッチが入っちゃってるだけ。

論破で有名なあの人も、過去の自分のツイートに論破されたりしてるじゃん。

「感情でモノを言うな」とは思わない。
逆に「人間なんだからモノをいう時は必ず感情が多少入ってる」ってことを自覚して発言しようね、って思います。冷静に考えて。
あっ。

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