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Number girlのいない世界で

「音楽何好きなの?」と訊かれたら一番最初に答えるバンド、が昨日二度目の解散をした。
解散ライブはチケットが当たらなかったのでTOHOシネマの映画館でライブビューイングを見た。
ライブの尺はワンマン2回分くらい長かったし、透明少女は4回やったし、火をつけた葉巻はすぐ消すし変なライブだった。だけどそれ故に少し忘れていただけで、また解散してしまった。
これからは今までずっとそうだったように、Number Girlのいない世界で生きていかなければいけなくなってしまった。

中学生の時に、学校に友達もいないし人生つまらないしみたいな感じでTwitterとyoutubeでバンドをディグることにのめり込んでいき、関連で出てきた動画がNumber Girlの「鉄風鋭くなって」だった。聞いたことがないテイストの曲だしなんかMVが怖い!と思って引っかかり、学校の音楽に詳しい先輩に聞いたら、ZAZEN BOYSの人だよと言って「ポテトサラダ」を聞かせてくれた。別人かと思うくらいひょうきんな感じがして、Number Girlも怖くない人たちなんだと分かって、次TSUTAYA行ったらなんか借りてみようと思った。実際に借りたのが記録シリーズで、とにかく曲数が多いし何歌ってるのかわからんすぎる、と首を傾げつつ片っ端から聞いていった。

下北沢のビレバンでサインしてもらったやつ


そういえばモテキのオムニバスCDに「NUM-AMI-DABUTZ」が入っていたり、きのこ帝国に「Girl Meets Number Girl」という曲があったり、アジカンも、ベボベも、みんなナンバガの影響を受けていると聞いて、もしかしたらすごく身近なバンドなのかもしれないと思った。
それから解散前のNumber Girlのライブ映像を本当に見まくって、気がつくと嫌なことがあった時にNumber Girlをよく聞くようになっていた。
中学生の時はほとんどが嫌なことだったから、ほとんどずっと聴いていた。今でも嫌なことがあると無意識で「I don’t know」を聴いていて、中学生の時と何も変わってないなと思う。

そして完全に余談だけど、その時に見つけたNumber Girlのコピーがとてもうまい軽音コピーサークルがあって、絶対入りたい!思っていたら、23歳の今になって入ることになった。時間は過ぎるものやね…。なぜか来月はプリプリのコピーをすることになっている。

向井秀徳の精神鑑定、まったく確証がなくて良かった


幸運なことに復活後のライブは3回も見にいくことができた。
日比谷、豊洲、zeppの3回で、日比谷は全員が生きて音を鳴らしていることに感動しっぱなしだった。昔の映像をみていた時間があまりにも長すぎて、20年後の姿を見た時に「昔と同じだ!」「昔と同じじゃない!」と勝手に比べて一喜一憂するみたいな時間が少しあった。最高だけどやっぱり本調子ではないのかな、とか思っていたら豊洲でギラついた向井を見ることができて感動した。かなり前の方で見ていたので、向井の銀色のメガネが反射して顔が良く見えず、それがすごくカッコよかったのを覚えている。zeppはコロナ禍になっていたので席が指定されていて、向井が要所要所で「異常空間Z!」と叫びながら仕上げた曲を次々に演奏していく感じだった。どれも印象深いけれど、押し合いへし合いしながら見た豊洲が今も私の原動力になっていると思う 全てよかった

誕生日プレゼントでもらった factoryのライブかっこよすぎる

復活後のNumber Girlは、20年前の曲をやり続けたという意味で老いと戦っているような部分もきっとあるだろうなと予想する。楽しくできていたらそれが一番いいなと思うけれど、解散ライブを見ていて、音楽を続けてきた人だけが見てる景色がきっとあるのだと感じた。リズムとか、ライブの構成とか、自分のスイッチの入れ方とか、音の作り方とか、大きい会場でやるコツとか。私にはわからない何か大きいものと戦っているような気もした。わからないのが悔しいけれど。

私は私で、ずっと追いかけてきたNumber Girlというものが、初めてカタチになって姿を現したのが2019年だった。
向井秀徳展も行ったし、「三柄一明」本も読んでいたし、当時の雑誌も貰ったり買ったりしてたから情報ばかりがずっと手元にあって、でも解散していて、もうカタチが「ない」ものに思いを馳せていた、そういう時期が終わった。
「ない」ものに思いを馳せることは簡単で、ただ切なくなればいいだけ、ただその時代に生きていないことを悔やめばいいだけだったのに、今はもう違う。
Number Girlは透明少女を1回のライブで4回やった人たちとしてカタチになり残っている……
そして私は2回目の復活から解散を見届けた人になっているわけで、2回目のナンバガすら追えなかった人たちがこれから出てくるとしたら、なんて声をかけられるのかがわからない。
すごかったよ、とか、ギラギラしてたよ、とか、この映像集あるよ、とかそんなことしか言えない気がする。ナンバガが復活するなんて誰も思わなかったし、こんなにナンバガ好きな人は本当にいなかったんだよ、少なくとも私の周りには、いなかったんだよとか、そういうことしか言えない気がする。
私の中には、叫ぶ向井の残像がずっと残っている。ライブが、音が怖い。鋭い雰囲気がある。痛い。そういうジメっとした青春の残り香が、今も残っている。

緊張の眼差し

「俺たちはここまでやったけどお前たちはこれからどうするのか?」と向井に聞かれているような、伝説になりすぎてしまったものを自ら壊したような解散ライブだった。
でもあれが向井の本質で別に20年間何も変わっていないんだとしたら、ナンバーガールがいなくなった世界で、でも復活して解散ライブを横アリでやったという不思議な世界で、自分はどうやって歳を重ねていくのか、不安になって少し泣いた。

けどそんなナイーブさに手を引かれる度、同じくらい「向井ずっと酒飲んでたしずっとふざけてたよな?」と思う
「思い出づくり 恥晒し」らしいし。本当はどのくらい金を稼ぎたかったのだろうか?
売れる売れない二の次で、私も自力を信じてやっていくしかないか〜

Fin


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