いつまでEvernoteに課金し続けるのか?


春休みも終盤である。行きつけの店・新宿のコーヒータイムスは冷房が効きすぎていて、隣の席では怪しくない形の投資の話、外国語入り混じる向かいの席、いつもおしゃれな店員さん。私はHSK(中国語)の試験が昨日終わって最高なんでもできる本も読める全てできる!と思っていたけれど、昨日バイト中に勧めてもらった写真家の展示がもうすぐ終わることをさっき電車の中で知って明日の予定を確認したりした。インスタ見てたら父親はちょっと前に行ったらしい。インスタで繋がる家族の輪…


kurayamisakaを久しぶりに聴きながらパソコンを開く。さっきまでは金原ひとみの「ハジケテマザレ」を読んでいた。総じて最高!ずっとこんな日々で良いと思う。でも家を出る前に履修登録をした。もうすぐ春休みは終わり、授業が始まり、大学まで結構自転車を漕いでなんで受けたい授業なのに全然間に合わない、とか思うのだろう。バイト先の塩澤さんに「自転車が楽しくない」と相談したら「それは”アティチュード”から負けてるね」と言われた。自転車に対するattitudeは正直全くないのでその通りだと思う。ちなみに、めっちゃ走りやすくて多分定価で買ったら高いスポーツ用の自転車を祖父が使わないからとくれた。祖父も誰かからもらったのだと思う。でもまあ、祖父には感謝している。


千葉雅也の「勉強の哲学」を読んでEvernoteを使い始めたのに、ツイッターを見てたら本人は「Evernoteはもうダメかもしれない」みたいなことを呟いていて苦笑いした。いや、激苦笑。いつだって心に木下理樹を飼っていたい。言い回しは大事だ。とにかく、Evernoteは時に便利である。アルバムの制作過程でEveenoteに本当にお世話になっていて、その時に色々添付するものがあったので課金した。課金しなくてもいい使い方しか今はしていないのにも関わらず課金が続いていることをAppleからのメールで知る。今すぐ課金をやめたらいいと思う。やめたらいいと思うとか書いてるくらいなら今辞めたらいいと思う。それでも今日はやらないだろう。そういうところがある。人間って、そういうところがあると思う。

昨日試験お疲れということで夜中までやっていて安い焼肉屋に行ったら店員さんが中国人だった。すぐ分かった。自分の中国語を披露する瞬間をずっと狙っていた。「その時」はやってきた。店員さんが網を変えてくれている瞬間だ。ちょっと時間の余白がある。いけ!「中国人吗?」「對!」

合ってた!!!!!

その後お会計時にちょっと中国語で話すことに成功。ただ、「留学」の発音が少し違ったらしくて直される。不安だ。私は今のところ、日本語が話せる中国人/台湾人としか話したことがない。マジで全員尊敬。もう一回人生があったら国際教養学部か建築学科か早稲田の文化構想に行って佐々木敦ゼミに入りたいよ。でも今の人生も良いと思う。ifばかり考えるのはオタクである証拠だ。オタクは青とifが大好き、だけど全てのifは全て岩井俊二がすでにやってくれているから私たちは何もやる必要がない。これは私が人からの相談を受けるときに必ず言う文言で、「打ち上げ花火、みてください。」と言って大抵の場合は締める。常套手段をここでバラしていいのか全然わからねえがまあいいか。

店内、冷房が効きすぎてもはや夏みたいになっちゃってる。よかった、珈琲をホットで頼んでおいて。大抵の場合はホットでいいことを経験則から知っている。私は賢い。聡い、と言った方がいい。これはママタルトひわらさんの言い回しだ。言い回しに文化が宿る。そのような引用によって、私は形作られている。


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