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3つの鍵 

 何とそう来たか。昨夜「3つの鍵」(Tre piani )というイタリア映画をDVDで鑑賞していた。見るほどに気分が落ち込んでいく。

(以下ネタバレ有り)

 息子が交通事故を起こした家族、その車に家を突っ込まれた家族、それを目撃していた妊婦の家族、それぞれの「なんでそうなる?」と首を傾げたくなる反応の末に来るものはいったい? 反省の色もなく親ならなんとかしてよ、とせがむ息子。幼い娘が認知症の老人に悪さされたと思い込んでしまう父親。夫と仲の悪い義兄とひそかに…な人妻。

 だが唖然としたのは、その絡まり合い煮詰まった人間関係の真っ盛りで、いきなり現れる『五年後』の字幕であった。

 これ、やってみたい。例えば140字小説で、68文字ほどの前半があって、「五年後。」残りの68文字でオチをつける。

 だがよく考えてみたら、深田晃司監督「淵に立つ」もこのパターンだった。なぜ淵に立つを思い出したのかといえば、前回俎上にした「崖上のスパイ」のせいだ。このタイトルは英訳だとCliff walkersで元は懸崖之上らしいけど、なんだかジブリアニメを連想してしまう。というかスパイという語のせいだ。敵か味方かといえば味方のフリをした敵なので敵であろう、でも誰から見ての話なの? だったらCliff walkersを日本語にすれば。などと考えてしまったせいだ。日本だと追い詰められる崖の下は海だがそこには海はなさそうだ。

 さて話を戻すと、このいきなり〜年後は去年の大河の秀頼の身長の跡がドンドン上になっていく演出にもあった。その間に徳川が如何に足元を固めていたかはスルーされていた。なんて便利なんだろうそして◯年後。

 本当にもとに戻ると三つの鍵には原作があってイスラム系の話らしい。ということは何かの暗喩で、私が知らないだけの歴史上の出来事を示唆しているに違いないきっと。

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