それでも地球はまがっている ② 前編
気がつくとなぜか17世紀のイタリアにタイムスリップしていた。周囲は全部イタリア人。君ら頭の中前近代だねとからかってみよう。僕は小型翻訳マイクを取り出す。
「地球は丸くて周ってるんだぜ」
バラバラと現れたカトリック修道士に取り押さえられた。
「怪しい者め、不埒千万!」
異端審問にかけられて地球が丸くて周っているしくみを尋問された。
「知らないよ、教科書に書いてあるじゃん、まがりなりにも、」
やばい。ロボットが故障してるよ。
「何だコイツ。ああ、異邦人の異教徒か」
審査官の態度が弛んだ。
「しかも反省の色がある」
僕は釈放された。わけがわからない。修理から戻ったロボットにたずねてみると、
『「それでも」はeppure で、強い譲歩を示すのですが、あなたはあのとき「まがりなりにも」と言いました。magari は「そうあって欲しいものだが」という願望を表すのです』
それでも地球はmagari 続け、
地球よ、永遠であれ(たぶん)
後半に続く
410文字
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