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非凡な貝貨 note創作大賞応募作品 第三話

 出家した未亡人のはずなのにどうして赤子を? さぞご不審に思われたことでしょうね。あの子はもちろん夫との子でございます。こういえばおわかりいただけると思いますが、夫は自害も病死もしておりませんでした。ただ心身を病んで、墓で息を吹き返したとき自分を別人だと思い込んでいたのです。私が誰なのかさえわかっておりませんでしたし、おそらくその後にあの子の命が宿ったことも知らないままでした。噂では甲州征伐とやらに訪れた明智軍に潜入したのだとか。そして武田家は滅んで、直後に本能寺の変がありました。とにかく信長が討たれたのは何よりでしたね。

 紆余曲折ありまして私は家康様の嫡男の教育係の座に収まっております。あの日のこと、まだ覚えておいでですか元元信殿? セナが誤魔化して手にしていた珍しい貝の片割れを私はまだ持っておりましてよ。ともあれ私は実のわが子の側に出仕することになったのです。秀忠は(あの時のわが子ですが)私に心を許しあれこれと本心を明かすのでした。
「わしは将軍になどなりとうない。縁組も断りたい。信長の姪にして淀君の妹など考えただけでぞっとする」
「若様、どうかお気を楽に遊ばせ。もはや親兄弟が誰とか高貴の血筋などと騒いでも凡庸な才にしか恵まれぬ者が大勢あることは天下に広く知られております。良いではありませんか、どんな血筋であろうと。太閤の義兄弟」
 ただし忘れてはなりませんよ、そなたが今川義元と武田信玄双方の血を引いていることだけは。(1595年頃)

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