見出し画像

柴田さんと私の出会いは8年前。
転職活動の最中、シバジムの求人を見た時に
「この会社にどうしてもどうしても入りたい」
どきどきと胸が高鳴り、がくがくと震え、絶対に絶対に入りたいと
目がくらむ思いだったことを覚えています。
柴田さんがはじめて手掛けたというレインボーロールスシは勿論、テトシオ、シバカフェ、カーゴライスデリなど当時のシバジム飲食店に全店足を運び、柴田さんの本は全て読み、「靴を見れば人が分かる」ということが本に書いてあったので、お金がなかったのですが靴だけは頑張って良いものを買って。一回目は優しそうなスタッフの方と面接。2回目は「パソコンのブラインドタッチを見るだけだから」と言われて行ったら、ブックの撮影段取りの企画・香盤表や関係者の依頼をつくるという難解で混乱の2時間の課題(何とかパス)、3回目が柴田さんとの面接。

私の勝負色である青のワンピースで、遅刻が怖すぎて恵比寿からタクシーに乗って行って。
開口一番、かなり強烈なことを言われてノックアウトされたのを覚えています。ひとことふたこと聞かれて、手が震えながら答えて、そのあとはずーっとシバジムの夢や自分のことをマシンガントークする柴田さん。これは・・・?と思いながら、面接は終了。
そうして、なんとか無事に入社することができました。

・・・余談ですが、自分が面接をする側にたたせていただくと分かるのですが、部屋に入ったときの印象(見た目、表情、姿勢、持っているもののセンス、身だしなみ)と、2つくらいの質問の回答をお話いただくだけで、8割くらいの印象が決まるものだなあと思います。お話いただく内容は、ほぼ似たり寄ったりです。エピソードの派手さは重要ではなく、そのプロセスを通じて気づいた心の在り方、その人の奥深さや思いやり、回転の速さや感じの良さ、そういった部分を面接するときにまっすぐ見ているように思います。


入社する前に決めたのは、「半年後にNO,2になる」という目標でした。
どんな社員がいるのかもわからない、私の実力がどこまで通じるのかもわからない(実際、SWOT分析とか出して盛大に引かれるなど全く通用しなかったのですが)時に立てた、目標でした。結局そこから8年たってやっと目標達成するのですが、No.2になりたかったのは、肩書が欲しいとか偉くなりたいといった気持ちからではありません。私は強烈に、仕事のできる人になりたい、という思いが(今も)強くあります。
だから、柴田さんのすぐそばにいられるNo.2であれば、一番、濁流にのまれ、厳しい激しい世界に行けて、自分が普通にやっていたら接する事のない世界やセンスに触れられて、他の人の倍速で成長できるのではないか、という思いから、なるべく近くのポジションを得たいと思っていたのです。
なので私は、「私になるべく難しく危険な仕事をやらせてください」とお願いをしました。難しく危険な仕事の傍には柴田さんがいるし、優秀な人がいることが多いのではないかと考えたのです。それにしても、身の程知らずの要求です。

実力も何もかも身の丈に合っていない状況で飛び込んだために、様々な恐怖体験をしました。●●省と●●省の偉い人から50人くらいの会議でひとり詰められ続けたり、経営陣など30人くらいにでプレゼンしていたら筆談で柴田さんに詰められて震えたり、柴田さんには、「その服では連れていけない。すぐに服を買ってきて」と言われて代官山の街に飛び出したり、、、言葉にしてみると大したことないですね。忘れてしまったのですが、様々な恐怖体験をしました。
ただ、自分が教える側にたつと、本当に思います。人を叱るというのは、本当にパワーがいること。言った後は気になったり後悔したりイライラしたり。できれば憎まれたくない。知らない。ほっときたい。
でも、柴田さんは、今日もゴミ箱にゴミがのこっていて怒り、雨じゃないのに傘立てがでていて怒り、アシスタントの敬語の使い方を指導。だいぶ優しくなったように思いますが、8年前から、恐らくこの会社ができた16年前から、どんなに忙しくなろうともそのスタンスはずっと変わらないのです。

柴田さんの気持ちの半分は、クライアントやプロジェクトにありますが、もう半分は社員や会社にあると思います。もしかしたらもっとかもしれません。様々な社長さんにお会いさせていただきますが、そんな社長はなかなかいない。
常に社員が気になって、会社が気になって、アシスタントのだれだれが元気がないとか、あの二人は仲良しなのかとか、常に気にしたり、声をかけたり、元気づけるために食事会を開いたり。まめという言葉では片づけられない、、、、人間を諦めないパワー。
(私はこういったシバジムのことを女子バレーボール部と呼んでいます)

私も反抗期の12歳男子のように、時に不貞腐れ、時に反抗し、
それはひどい有様でしたが(現在進行中)、それにしても私のことをよくあきらめずに付き合い続けてくださるな。と、冷静になると驚きと感謝の気持ちです。

柴田さんに言われて嬉しかったことは、入社してはじめて担当したブランドストーリーを見よう見まねで書いてみたら、「文章がうまいね」と言われて天にも昇る気持ちになったことと、そしてちょっと言うのは恥ずかしいのですが、柴田さんに、「なかへは私の最高傑作!」と言われたことです。(本人忘れている可能性が高いです)(わたしのあだ名はなかへです)
あとは、柴田さんが元気がないと私も元気がないので、いつまでもパワフルでエンジン全開で、でも、無理して元気に振舞うことなく、リラックスして元気でいてくれたらいいなあと思います。

※写真は入社当時の集合写真。今や倍以上になりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?