よい後輩とよい先輩

私にとって、これは永遠のテーマです。
後輩への指導、上司への対応、、、仕事をする上で、多くの方にとっても最も悩みの多い部分かもしれません。
私といえば、上からも下からも「怖い、厳しい、感じ悪い」(でもたまに愉快)と言われ続け、最もこのテーマについて語るに足る人間ではないこと自覚しているのですが、むしろ足りなすぎるからこそ、どんな視点を持ってきたか、お伝えできればと思っています。

良い先輩=良い指導は「無私(むし=私心がないこと)」はじまり

前々回のインスタライブでも、「後輩への指導、言い過ぎてしまったかどうか気になってしまう」というお悩みをいただきました。
よーーーくわかります。
でも私ある日気付いたんです。私の指導、うざかったかな。嫌われたかな。気にしちゃうとき。そこには「自分が良く思われたい」慢心のようなものが潜んでいたのではないか、それを自分の心が後ろめたく思っているのではないか・・・・と。

私は大学体育会のスポーツをしていて、その後4年間母校の大学でコーチをしていました。(ちなみに運動神経悪いです)。その時に一番苦悩したのが、
この言葉は本当に相手のためのものだったのか。自分のために発した言葉じゃなかったのか。」ということでした。
卒業してそのままコーチになったので、学生と年齢もほぼ同じでしたし、嫌われたくないとか、白けさせたくないとか、よく思われたいとか、空気読んだりとか、今思うとそういう邪心みたいのが混ざっていたように思います。つまり私の言葉は、「相手」のためではなく「私」に向いていたということ。勿論、相手との良好な関係は必要です。関係がなければ厳しいことをいっても受け入れてもらえませんから。
でも、甘やかして好かれたりとか、本音を隠してむ迎合したりとか、好かれることが目的になると、どんどん本質とずれてゆくのではないでしょうか。

ベクトルが「私」に向いているときってどういう時かなと思うと、
起こった事実そのものというよりも、そのことを通じて自分が恥をかかされた、自分の評価がさがった、など、事象とは違う要因で芽生えた怒りをぶつけているときではないでしょうか。
後輩に任せていたプレゼンがダメダメで、会議が失敗。上司からちくりと言われ、自分が恥をかいたとき。「なにしてくれてんの!?」という風に怒ってしまった。

分かります、想像するだけで怒りそう・・・でも、その感情に任せて指導をすることは、よくない指導なのかもしれません。
そこにあるのは「私」であって、「相手」の成長のための言葉ではないから。
この言葉は、本当に相手のためのもの?
相手のための純度の高い言葉であればそれは良い指導になると思います。
でもそこに「私の価値が下げられた」という不純が混じると、そのことは相手に伝わってしまい、受け入れられないのではないでしょうか。

私、最近は、後輩に何を言っても気にならなくなってきました。神経図太くなったということと、立場が与えられているということと、良い後輩に恵まれているという部分が大きいのですが、伝えることで私が嫌われたとしても、相手のビジネススキルやコミュニケーション能力が向上するのであれば、それで良いやと、思えるようにやっとなりました。

■相手の尊厳を傷つけない

もうひとつ、私が後輩を指導するとき(関係会社さんをディレクションするときも当てはまりますね)気を付けているのは、
誰であっても「相手の尊厳を気付付けない」ということです。
例えば、「え、嘘。わかってなかったの?意味不明・・・」みたいな言葉とか態度です。

私は意地悪が得意な人間ですから、やりがちだしやってしまいそうになるのですが、こういう言葉は本当に良い方向に物事を運ばないので、使わないように気を付けます。こういう言葉を使いたくなるのは、相手がぼんやりしているからついショッキングな言葉をつかって相手を傷つけようとしている意地悪な行為なのだと思います。

■余談ですが、そんなショック療法をしてくる上司に対して…

上記のようなえぐる言葉をつかってくる上司がいる方へ。
当然人によりますが、話しているうちに乗ってきちゃうというか、ヒートアップしちゃうというか、情緒的になってしまうことが多いように思います。つまりそこにあんまり他意はない。上司は、ただ自分の強い感情を自分が感じているのと同じように伝えたいがゆえに、ショックを与えてくるのです。
その際は、相手がどれくらい怒ってるかがっかりしているか、一度刺激を受け止めて、いったんはまあ傷つきますよね。
でもその後に、エモーショナルなパートと、事実の指摘と、切り分けてみると良いと思います。
エモーショナルを受け止めすぎて反芻し続けて自信をなくすのはあんまり意味がありません。また、感情的に受け入れられなくなって肝心要の指摘を受け入れないのも成長につながらない。箇条書きで指摘された内容を洗い出す、そこにはためになることもいくつかはあるかもしれない、それを淡々と改善する、でよいと思います。必要以上に傷つく必要はありません。

一方で良い後輩の心得

偉そうなタイトルですが私は良い後輩だったのだろうか・・・
自分を分析すると、「とにかくやる、絶対にやる、上手くはないけど必ずやりきる」という後輩でそこは良かったと思いますが、「拗ねる、態度が悪い、気分屋」ですので最悪の後輩ですね。面倒な性格でしたが、上司の役に立ちたいとは心から思っていて、これまで出会った5名の上司はみなさん最高の方ばかりでした。

今私が思う、良い後輩ってなんだろうというポイントを3つ書いてみました。

■勘が良い、勘が冴えてる

勘が良い後輩って最高です。
1きいて10分かるということ。
基本的に、優秀な上司ほど、時間が貴重になります。
その上司は、この1時間を、クライアントのために使うか、家で休んで英気を養うか、それとも目の前の後輩に指導をするか、つねに天秤にかけているのです。
私はそれでクライアントを選び続けてきただめな先輩ですが、そんな人が多いとすると、「この後輩の指導のために時間を使おう」と、上司に思わせるような後輩のアクションが必要になってくる。
ひとつは、相手の時間を奪わないということ。一言を聞いたら「それってこういうことですよね、であれば、まずここからやって、その次こうやって、最後にこうやる・・・ってことで、認識合っていますか?」なんて言ってくれれば、最高です。理解がはやくて勘が冴えてる。後輩と話す時間は有意義であると感じられたら、必然的に後輩に割く時間の優先順位があがるのではないでしょうか。

■いったん受け入れる、やってみる

いったん受け入れてくれる後輩って最高です。
上記の通り、上司、とにかく時間がないんです。ないというより、何に時間を使うかを常にジャッジしています。そんな状況で、話しかけたら、「でも・・・」「今更ですか?」「(読めばわかるのに)最初から教えてください」などなど、おそらく本人がやりたくない、面倒、などの理由で抵抗されると、げんなりしてしまいます。
しのご言わず、自分の頭で考えてみることから始めるのが良いと思います。そうすると見えてくることが多くあると思います。その上での上司との議論は実のある時間になります。(前時代的ですみません)

■ウェルカム感、つっこめる、いつもナイスである

私と真逆ですみません。
本当に大事です、ウェルカム感。
ウェルカム感を出し渋っている人は、「私ばっかり仕事が増えたら損をする」と考えているのではないでしょうか。仕事がすべてではないので、その考え方もありだと思います。
私の業界では経験値、いくつ場数を踏んだかが大切です。
「えー、、、」と嫌な顔されるけど優秀な人よりも、「やってみたいです!がんばります!」というおっちょこちょいな人と、やっぱりお願いしたくなるのは後者かもしれません。
あと、プライド高くてつっこみにくい人=指摘がしにくい人というのは、成長の機会を失うということだと思います。
20代はとにかくたくさんのフィードバックを受けて、(そこには意味のあることもないことも混じっていますが)、いったん受け入れてみる事で見える世界があるのではないかと思います。

・・・

つたない文章を多くの皆さまに読んでいただいて、
心より感謝申し上げます。

ご質問をくださった方、ありがとうございました。
また、今後お答えさせていただければと思っています。

徐々に暑くなってきましたね!体に気を付けて、素敵な週末をお過ごしください。


中原真理

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?