神さまに下りてきていただきたいときもある

ライターというと、「文章が自由に書けていいですねー」と言われる。でも、そんなことはない。「ネタ」があっても、それをどう構成するか、すごく考える。そして、そのうち煮詰まる。で、書けなくなる。そんなことを何度も何度も繰り返し格闘しているうちに、あるときふと「あれ、なんかキーボードを打つ手が軽やかかも」という瞬間が訪れるときがある。まさに、「神がおりてきた」瞬間だ。三谷幸喜さんのようにすごいものはおりてこないけれど、なんかすらすら書き進める~、と言う状態がくることがあるのだ。たまにだけど。で、往々にして、そういうときのほうが文章も活きがよくておもしろい。

文章を書くのは、はっきり言って嫌いではない。というか、「書きたーい!」と思うこともある。けど、そんなものをほかの人にさらしていいのか? という恥じらいもまたあったりする。さらに仕事となると、「ちゃんと書かないと。著者の先生に申し訳ない」などと思うから、できるだけ著者の先生に乗り移ろうと考えてしまうのである。これって、本当にいいことなのかな? 

いずれにしても、いつもすらすらスマートに書き進めたい自分がいることだけはたしかである。だけど、現実は、いつもぞうきんをかたくかたーく絞るかのように脳みそを絞っている。ま、この記事を書いている時点で、まだぞうきんを絞る余地はあるのかもしれないけれど。

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