黒柴的パンセ #37

黒柴が経験した中小ソフトハウスでの出来事 #22

ここでは、中小ソフトハウスで勤務していく中で、起こったこと、その時何を考え、また今は何を考えているかを述べていく。

「今の所、興味のある分野が思い当たらないです」
これは、自社の若手社員M(女性)からの言葉である。
彼女は、別のソフトハウスで勤務していたが、その会社をメンタル障害で退職していた。
彼女と同じ会社だった社員が自社に転職しており、その社員からの紹介で自社にて勤務することになった。

Webアプリ系の経験者ということで、自社内で主にWebアプリ開発を行っている黒柴のグループに配属になり、ボスから彼女の面倒を黒柴が見てくれないか?と打診されて、黒柴のチームに参画することになった。
余談だが、自社のメンバーは「人を育てる」というか自分自身が「育てられた」という経験が乏しいので、こういう中途入社の社員は黒柴のようなベテランに預けておけば何とかしてくれる、と思われているらしい・・・

黒柴は、以前受講したチームビルディングで学んだことから、業務上の会話以外に、雑談(ダイアローグ)が必要だと思ってる。
これは、人にはそれぞれ固有の価値観があるため、その価値観を理解せずに自分の価値観だけを押し付けるようなことになると、軋轢が生じてしまい、プロジェクトが上手く進まなくなるからだ。
当時は、まだコロナ真っただ中だったため、在宅ワークが推奨されていたので、対面での会話はほとんどなく、雑談もTeamsによって行われた。

彼女の価値観を理解するために、いろいろな話をした。
普段の生活や趣味、なぜソフトウェアエンジニアになろうと考えたか、前職は状況はどうだったか、などである。
彼女がソフトウェアエンジニアになろうと考えた動機は、ネットでよくありがちな適職診断で、システムエンジニアに適性があると示されたからだという。
また、前職は人材派遣を行うソフトハウスにありがちな状況で、人の出入りが激しく、最終的に一人で派遣先に常駐して作業を行うことになってしまい、右も左もわからないままでプレッシャーで体調を崩したとのことだった。

そんな状況だったこともあり、最初は仕事の指示なども少し細かいかなと思うくらいに頻繁に詳細に行った。
3ヶ月くらい経って慣れてきた頃に、プロトタイプ(当時は設計工程だったので、その設計を検証するためのモデル)の構築をお願いした。
設計作業、いわゆるドキュメント作成は不慣れだったようなので、指示・レビューなどを細かく実施したが、プロトタイプ作成は多少なりともプログラミングに慣れもあったので、大まかな指示をして確認の頻度も少しずつ減らしていった。

その後、彼女はだんだんと体調を崩す日が増えてしまい、休みがちになった。もっとも、原因は彼女が学生のころから抱えるメンタル障害にあったのだが、序盤でそれに気が付けなかったのは黒柴の失敗だった。(彼女が抱えるメンタル障害については、ここでは割愛する)
結局、半年くらいで休職となってしまった。

休職から1年後くらいに、復職のためのトレーニングが始まった。自社では、メンタル障害で体調を崩すものが多いこともあり、1年くらいの休職期間を認めているが、復職できなければそこで退職勧告となる。
復職トレーニングが始まったのを認識した後、また彼女にいろいろと話を聞いてみた。
トレーニングで行うことは、特に指示されておらず、とりあえずIPAの基本情報技術者試験対策の学習をするとのことだった。
その学習に興味を持てているのか、興味が持てないなら興味の持てることの学習でもしてみたらどうか、と会話をしたところ、冒頭の言葉が返ってきた。

結局のところ、彼女は「彼女自身がシステムエンジニアに向いている」という点で、大きな勘違いをしていると思う。
かれこれ30年以上この業界で働いてきた黒柴は思うが、「ソフトウェアエンジニアというのは、かなり癖の強い職種」である。
特に、割と上流工程の作業が多い大手SIerと比べて、そのSIerの下で作業するソフトハウスでは、プログラミングスキルが優劣が大きく問われる。
そのため、プログラミングが「理解できない」、「興味が持てない」という状態になると、そのソフトハウス内では存在が大きく否定されてしまうのだ。

昨今、ソフトウェアエンジニアの不足から、他業種からソフトウェアエンジニアに転職する人も多く見受けられる。
だが、この業界に足を踏み入れる前に、「自分は本当にソフトウェアエンジニアになりたいのか」、「自分はソフトウェアエンジニアリングに興味を持って取り組めるか」、再度自問自答して欲しいと思う。
この職種に合わないために、メンタル障害を発症して退職していく人をこれ以上見たくない。



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