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どうしてこうなった

まだ45年ぐらいしかいきていないけど、今思うとどこまで自分の思い通りに生きてこれたのか。パッと思いつくのは大学卒業までだろう。大学を卒業してからはまるで畑違いな飲食の仕事のしかも調理の仕事についてきた。

年数で言えば20年とちょっと。この年数を調理に従事してきた人間なら自分のお店を構えていてもおかしくない。しかし、僕ははっきりいってこの仕事が好きではない。自分で勉強して自分でスキルを上げようとは全く思わない。必要最低限の仕事をずっとこなしてきた。

どうしてだろうか。全く身の乗らない仕事を20年もやってきた。自分で勉強してスキルを上げようという意欲は本当にわかない。そんなことはずっと前から自覚している。しかし、やめることは許されなかった。この仕事は実家の仕事だからだ。仕事の内容は大したことはないかもしれない。言われるがままに仕事はこなしてきた。それでも店の中で1、2番目には働いている、今でも休みの日は週一もない。

今でも思い出すのは店が週一の定休日から、年中無休になったときは酷かった。父親が突然言い出した。年中無休にするぞと。必死に反対したにもかかわらずだ。そこから記憶にある中では、8か月間は休みがなかった。忙しい忘年会正月も大晦日も休みなしで、働いた。

その中で誰が僕を労ってくれただろうか。すべてだ、すべてやって当然、当たり前と言われているようだった。しかもそれは今でもだ。そのせいかすでにここ数年、週に一回ではあるが心療内科に通っている。薬も飲んでいる。軽めの薬のようだが、これを飲んでいるせいで献血ができないのは笑える話だ。

世の中のコロナに対する認識の厳しさのせいで、コロナに対する過剰なまでの対策のせいで、お店の収益はとんでもなく赤字になっている。3000万の借入金の蒸発ぶりは、音になって聞こえてくるようだ。吐き気がする。自分の給与もかなりダウンさせた。すでに半分になっている、社員でも一番低い。

俺が悪いのかこれは、俺が悪いのか?仕事の入った休みの日の早朝に、妻からいきなり家計のお金が足りないと言われた。いつかは来る日だと思っていたが、言われてみると辛いものがある。自分の口座から貯金を下ろす。独身の頃に貯金していたお金。僕にはまた大学に通って、諦めてしまった自分のやりたかった事をまたやりたい。そんな夢も潰えてしまいそうだ。

社員の人達には、しっかりと週二の休みを取ってもらい、休業させたらその給与の保証をする。かたや僕は、週一も休まずに働く。当然、落ちた給与の保障なんてない。嫌々ながらでも吐きそうになりながら、社長としての仕事も、調理の人間としての仕事もしていく。

ああ、嫌だ。こんな人生。どうしてこんな人生になってしまったんだ。もっともっともっと、自分の人生を一生懸命生きるべきだった。中学生、高校生、大学生、こんな人生にしないために出来ることはいくらでもあった。どうして俺は何も努力して来なかった。過去の自分を殴れるものなら殴りたい。生きている意味を全く感じない。

こんな世なら無くなったっていい。戦争でも起きてすべてがむちゃくちゃになってしまわないだろうか。死んだってかまわない。

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