嵐「カイト」はなぜ「逃げていい」と歌うのか


2019年の紅白歌合戦で初披露された、嵐の新曲「カイト」。作詞作曲は米津玄師。とてもいい曲で、すごく意義深い曲だった。


振り返ってみると、嵐と米津玄師のコラボを伝えるニュースを最初に聞いたときには、かなり驚いた。正直ちょっと違和感もあった。

というのも、米津玄師という人は、過去のインタビューで「わかりやすく、大きな応援ソングというものに対する嫌悪感が、子供の頃からすごくあった」と語っていたから。

一方で、嵐というのは、言ってしまえば「わかりやすく大きなもの」を背負い続けたグループだった。「国民的アイドルグループ」という存在感もそうだし、彼らが歌ってきた数々のタイアップソングもそうだった。

なので、「嵐が歌うNHK2020ソング」という時点で「わかりやすく大きな応援ソング」となることが周囲から当然期待されるわけで。そういう意味では、とても対照的な、言ってしまえば水と油と言っていい同士のコラボレーションだった。

でも、この2年で米津玄師自身もすごく変わったんだろうなと思う。

まず「パプリカ」が予想を超えて広がっていったこと、本当に全国の子供たちが笑顔で歌って踊るような「新しい童謡のスタンダードナンバー」として浸透したことは、大きなフィードバックになったんだろうと思う。

もちろん「馬と鹿」の経験も大きかったはずだと思う。スポーツ選手のストイックな日常と熱狂の瞬間をモチーフにしたあの曲が、ラグビーW杯のスタジアムで鳴り響くような、リアルなアンセムとして世を彩ったことも大きな経験だったと思う。

それを踏まえての「カイト」。

https://www.youtube.com/watch?v=ETLT0WXFX1E

最初に印象に残ったのは、こう歌う歌詞のフレーズだった。

母は言った「泣かないで」と
父は言った「逃げていい」と
その度にやまない夢と
空の青さを知っていく

この「カイト」は、作られた経緯からも明らかなように、東京オリンピックやパラリンピックにまつわる番組で使われることが、あらかじめ決まっている曲。

そういう曲で「逃げていい」というフレーズを、しかも「父の言葉」として歌う(旧来の家父長的なジェンダーロールからはかけ離れたイメージの言葉だろう)。このことが持つ社会に対するメッセージ性はとても大きいと思う。

紅白歌合戦で放送された制作ドキュメントでは、嵐の5人が「そして帰ろう」という箇所にすごく共感し、特に相葉雅紀がツアー中の酒席で「この言葉に救われる」と言っていたことも語られていた。

その箇所は、こういう歌詞。

嵐の中をかき分けていく小さなカイトよ
悲しみを越えてどこまでも行こう
そして帰ろう その糸の繋がった先まで

「そして帰ろう」というフレーズは「その糸の繋がった先まで」と続く。歌の主人公を空を舞う凧に喩えたこの曲において、「糸」というのは大事なモチーフになっている。

では「その糸の繋がった先」とはどこか? 

それは曲の最初のフレーズで歌われている。

小さな頃に見た 高く飛んでいくカイト
離さないよう ぎゅっと強く握りしめていた糸

「離さないよう ぎゅっと強く握りしめていた糸」とは、幼い頃の思いを象徴する言葉だろう。子供時代の憧れの対象に向けた気持ちを表す言葉だろう。

この「カイト」は、そういう自分自身の思いだけが主人公を駆り立て、夢に向かわせ、挑戦に奮い立たせる、という歌になっている。曲の中では、父が、母が、友が、”あなた”が、さまざまな声をかける。家族や友人や大切な相手との結びつきが描かれる。でも、その描写は「誰かに励まされて」とか「誰かのために頑張る」とか、そういうところにはつながっていかない。

けっして「わかりやすい応援ソング」にはなっていない。

だからこそ、その中で父の言葉として歌われる「逃げていい」というフレーズが、すごく効いてくるのだと思う。


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