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大友良英スペシャルビッグバンド「地元に帰ろう音頭」/フェスと祭りと「地元に誇りを持つ」ということについて

今年のフジロックでもやってました。大友良英スペシャルビッグバンドの「地元に帰ろう音頭」。『あまちゃん』のあの曲を、20人以上の大所帯で「盆踊り」にした曲。唄は二階堂和美。踊りと振り付けは作曲者でもあるSachiko M。7月23日に出たアルバム『ええじゃないか音頭』に収録。

アルバムには、もちろん「あまちゃん音頭」も入ってます。

宮藤官九郎が連ドラを手掛け、能年玲奈はCMや映画に出演し、『あまちゃん』に関わったほとんどの人がすでにもう「次」の仕事に携わってるなか、大友良英さんだけは、ずっと『あまちゃん』をやり続けてる。

それは一見、滑稽なこと、ダサいことに見えるかもしれないけれど、実はすごくグッとくることだと思うのですよ。なぜなら、「盆踊り」って、そういうものだから。「終わった」とか「次」とかじゃなくて、毎年同じことをやることに、意味がある。

そして、この曲がグッとくるのは「駅前 コンビニ 駐車場」という歌詞のところ。ノスタルジーじゃなくて、ショッピングモールとコンビニで画一化した日本の郊外と田舎の今の風景を描いている。

そのことがどういう意味を持つのかについて、去年に出た『あまちゃんメモリーズ 文藝春秋×PLANETS』という書籍の中で大友良英さんにインタビューしたことがありました。

以下引用。フェスと祭りについて、そして地元に誇りを持つということ、それが個人のアイデンティティを形成するのだ、ということについての話。

――今の音楽カルチャーにおいて「祭り」としてイメージされるのは、ここ10年ほどで日本に定着した野外フェスの文化が大きいと思います。大友さんはどうご覧になっていますか。

大友 おっしゃったようにフェスっていうのはお祭りなんですよ。それも、地元に根付いたお祭りじゃなくて、趣味を共通にした人たちが自分達で集まって作った祭りっていう。その意味でとても画期的だったと思う。一方で、それが商品としてすごく上手に成立する祭りになっているでしょ。作り手と受け手の関係が、はっきりと分かれている。そのことを否定するつもりは全然ないし、そういうのもいいんだけど、そうじゃなくて、もう一回自分達で作り直していく祭りが必要なんじゃないか、って思ったのが震災後だった。

――『シャッター商店街と線量計』の大友さんと渡辺あやさんとの対談の中で、サマーソニックと岸和田のだんじり祭りの話をしていて、それが「フェスとお祭り」の対比として非常に印象的でした。

大友 あれはすごくわかりやすい例だね。だんじりは超伝統的な祭りで、サマーソニックは現代的な商品として成立してる祭り。今はその両極がある。どっちもあっていいんだよ。だんじりがあるから岸和田は元気だし、サマーソニックだってあっていい。でも、どっちでもないオルタナティブなものを自分たちの手で作らないといけないんじゃないかって、俺は思ってる。あそこで渡辺あやさんと話してる問題って、要は地方の問題なんですよ。何の祭りもない地方、シャッター商店街の地方、自分の住んでるところに誇りの持てない地方という問題。で、実は『あまちゃん』の巨大なテーマもそれだと思うんですよ。

――まさにそうですね。

大友 地方と中央という二極化が起こって久しいでしょ。しかも地方で人が集まる面白い場所って中央資本のショッピングモールだったりコンビニだったり。そんな場所に誇りをもつのって難しいなって。でも、現実にそこで育ってる人が沢山いるわけで。駅前はコンビニと駐車場しかないのが自分の地元だったりする。

――「地元に帰ろう」の歌詞ですね。「駅前 コンビニ 駐車場」。

大友 そう。「地元に帰ろう」で思い描く地元って、海のキレイな風景じゃなくて、コンビニと駐車場しかない駅前なんだよね。だけど、そこで育ってる人間にとっては、それを否定されたらかなわないところもあるでしょ。確かに残念かもしれないけど、でも自分が育った所だもん。育った所を悪く言ったら、自分もみじめじゃないですか。とはいえ、なかなかな誇れるほどでもない。そういう“まめぶ感”っていうか、微妙な感じ。そこをちゃんと見て行かないと始まらないなって思うんです。あのね、ちょっといきなり大きな話になるけど、俺はあのドラマは本当に深い大きなものを描いていると思ってるんです。すごく薄っぺらな批判として、「震災後に原発のことを描いてない」っていうことを言ってる人がいるでしょ。とんでもない、むしろ全編を通して原発がなんで地方にあるのかってことを描いているとすらいえると思うんです。もちろんそんなこと直接言ってないし、そんな意図もないけど、中央と地方の二極化の問題を、本当に丁寧に描いていて、そのこと抜きで、震災後のことも、原発のことも語れないと思うんです。その大前提になるようなところに丁寧に向き合っている。しかも、地方は素晴らしい、海はキレイだって嘘をつくことでごまかすんじゃなくて、残念感をちゃんと出している。海が荒れるっていうこともちゃんと描いてる。そこにすごくリアリティがあると思うんですね。

――それをGMTというローカルアイドルが歌うことも含めて、今の日本の現実とすごくリンクしている。

大友 そうだね。あの歌の何がいいって、アキちゃんの本来の地元が北三陸じゃないことなんですよ。だって東京で生まれ東京育ちでしょ。今までは、田舎訛りな人が東京に出てきて訛りじゃなくなるのを成長と日本では呼んできたんだけど、アキちゃんは真逆をやってる。田舎にいたのはわずか一年なのに、ずっと訛ってる。そうやって自分の地元を、自分の意思で決めているんです。すごいことですよ。その逆転をコメディの中で見事に描いている。

――東京出身のアキちゃんにとっての地元が北三陸になっている。「地元」という言葉がアップデートされた感じはありますね。

大友 されてるよね。地元を自分で選んでいいんだって、実は画期的なことだもん。地元がどこかって本人のアイデンティティに関わることじゃないですか。それを自分で決めていいんだっていうのは、とても大切な事だと思う。このドラマの偉大さはそこですよ。

――そういった地元とアイデンティティの問題と、大友さんがやっている地方で新しい祭りを作るという動きはリンクしている。

大友 まったく一緒ですね。そう考えると、ここ2年半の俺の動きと『あまちゃん』もリンクしてると思う。たとえば欧州に行って私が暮らす場合、そこにいる人種も言語もごちゃごちゃですから、自分のアイデンティティは自分で築いていかなきゃいけないんですよ。自動的に何者かでいられるんじゃなくて、自分で何人としてどう生きるかを決めて行く。アキちゃんがそうしたように。しかも他人もそうやって自分のアイディンティティを自分の意志で決めているんだということを尊重しあいながらね。グローバルな視点で見たら、日本はそう意味では、今現在はとても未熟な国だと思います。でもいずれあと50年もしたら日本に住んでる人たちもそういうことを経験せざるえないでしょう。そうなったら、国内の生まれた出身地だけでゴタゴタ言ってるような場合じゃなくなると思うな。

すごく大事なことを語ってくれたと、今でも思ってます。(77/100)

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