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RADWIMPS「新世界」が指し示す”アンシャン・レジーム”

5月8日の『ミュージックステーション』出演に際して書き下ろされた、RADWIMPSの「新世界」。この日のMステは「アーティストが今届けたい歌SP」と題した特別編成になっていた。様々なアーティストが自宅からの弾き語りやリモートのセッションを披露していたのだけれど、オファーを受けた彼らが「それならば新曲を披露したい」と書きおろしたのがこの曲。同日に配信リリースとなった。

久々に「音楽番組」でゾクゾクする気持ちを味わった。

この「新世界」について、ちゃんと書いておきたい。とても示唆的な一曲だ。

まず書いておくべきは、タイミングとして、RADWIMPSが”初披露”する曲は他にもあったということ。

たとえばバンドは新曲「猫じゃらし」を4月に配信リリースしている。キリン「午後の紅茶」のCMソング。

ただ、この「猫じゃらし」を歌うのは今じゃない、という思いもあっただろう。コロナウィルスの感染拡大で日常が大きく変わってしまった今、この曲が描く「なんでもない日常の幸せ」というのは、違った意味を持って響くようになってしまっている。

ただ、「Light The Light」を歌う、という選択肢もあったはずだ。

この曲は3月15日にYouTube上に公開された一曲。野田洋次郎は、この曲をコロナウィルスの脅威の中で不安な毎日を送る人達のために書いたと公言している。RADWIMPSの公式ブログにはこうある。

今回、中国でお世話になっている方々から「中国で不安な生活を送る人たちを励ます曲を作ってはもらえませんか」と提案を受けました。ぜひ力になれるのならばと、急いで楽曲の制作に入りました。そして今回完成にこぎつけることができ、無料で中国国内の皆さんへ配信することを決めました。

曲を作りながら、これは中国の方に向けたものであると同時に日本、そして世界中でウィルスの脅威と闘うすべての人に向けた曲だと感じました。順次他の国・地域でも聴けるような態勢を整えようと思います。

音楽にできることはとても小さいです。でも時にその小ささに救われることもあるのではと、僕は思っています

歌詞は英語で、こう歌われる。

Someday we will talk all night
Of all that we've been through

Until then we'll hold our hands together, soft and tight
Together we'll move on

(いつか僕らはひと晩中笑い合うんだ この何よりも大変だったときのことを それまで僕らは手を繋ぎあおう 優しく、力強く 共に歩もう)

日常が失われて、不安が広がる毎日。音楽にできることの一つは、人々の心に寄り添うことだ。だから、こういう歌が歌われることにも大きな意味がある。

それでも、RADWIMPSはそれを選ばなかった。その代わりに、ある種、予言のような曲を書き下ろした。野田洋次郎はこんな風にコメントしている。

「最初にお話をいただいたとき、みんなが前を向けるような曲を作ろうと思い制作を始めました。ですが、段々とそれだけでいいのかと違和感が生まれていきました。COVID-19(新型コロナウイルス感染症)は僕たちからたくさんのものを奪っていったと同時に、たくさんの気づきも与えてくれています。日常がいつか戻って来たとして、それは今までとは違う新しい世界なんだと思います。企業や社会の仕組み、教育現場、政治のあり方。これからを生きる僕たちが、どんな世界にしていくのか。みんなが想像し、創造できるようにと願って作りました」

これから、今までと違う新しい世界が訪れる。

この曲はそういうことをモチーフにしている。

『当たり前』が戻ってきたとして
それはもう 赤の他人
きっと同じ世界には もう戻らない
「ただいま」と開けたドアの先は『新世界』

こう歌っている。

彼だけじゃない。いろんな人が気付いている。「アフターコロナ」とか「ウィズコロナ」という言葉でそれを語っている。

もう、かつての日常は戻ってこない。

たとえば、かつての日本には「風邪でも、絶対に休めないあなたへ」という風邪薬の広告コピーがあった。

かつてじゃなかった。2020年の話だった。

でも、もうそんなキャッチフレーズは通用しない。感染拡大がひとまず落ち着いたとしても、これからの社会にそんな古い労働慣習や根性論を取り戻す必要はない。

たとえば、多くの人が満員電車に乗らなくてもいい日々を体験した。テレワークが導入され、Zoomなどのビデオ会議システムが一気に普及した。皆と会えない日々のなか、週末に「オンライン飲み会」をする人も増えた。多くの企業が在宅勤務を導入し、オフィスワークの形態は大きく変わった。

感染が収束したとして、30分以上、ときには小一時間もぎゅうぎゅう詰めの電車に揺られるという「当たり前」に戻りたいと願う人がどれだけいるだろうか?

そして、社会システムの大きな変革は、そういう日常の慣習の変化の先に訪れる。

誰かが旗を振ってもがんとして動かなかったものが、一人ひとりの「あれ? これって必要なかったんじゃない?」という意識の変化で雪崩のように変わっていく。

「新世界」は、そういうことを歌っている。

そして、この曲の最も重要なポイントは「上を向いて歩こう」へのアンサーソングになっていることだと思う。それも、批判的な意味で。

坂本九の歌った「上を向いて歩こう」は、おそらく日本の最も有名なスタンダードソングだろう。東日本大震災の後にも、この歌がチャリティソングとして沢山歌われた。復興に立ち上がる人々に寄り添う応援歌としての新しい意味を持った。

「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」という歌詞で知られるこの曲だが、その前にはこんな言葉が歌われている。

幸せは 雲の上に
幸せは 空の上に

この曲の歌詞を書いた永六輔は、60年の安保闘争に敗北し、挫折の思いを抱えて帰途についたときの心情が背景にあったということを語っている。

安保闘争について調べていくと、当時政権についていたのが岸信介だったり、いろいろと今の日本と重なるところが見えてくるんだけど、それはまた別の話。とにかく1960年というのは時代の境目になった年で、その後に就任した池田勇人内閣が打ち出した所得倍増計画を経て、60年代は高度経済成長時代となっていく。その通奏低音のようになったヒット曲が「上を向いて歩こう」だった。

1964年には東京オリンピックが開催。1968年には司馬遼太郎が『坂の上の雲』の新聞連載を開始する。

そこで人々が感じた「上を向いて歩こう」の「上」というのは、つまりは「経済成長」のことだった。永六輔がその意図を込めたかどうかは別として、当時の時代の中で、あの曲はそういう風に受け止められてきた。

それを踏まえて。「新世界」には、こういう歌詞がある。

僕ら長いこと 崩れる足元を
「上向いて歩けよ」と 眼をそらしすぎた

つまり、「新世界」で歌われているモチーフの深いところには、経済成長を前提とした資本主義社会の行き詰まりというのがあると思うのだ。

もちろん、それは新型コロナウィルスの脅威以前から顕在化していたものである。具体的に言うと気候変動がその最たるもので、感染拡大下で世界的に経済活動がストップしたことで、温室効果ガスの排出量が激減しているという。

ちなみに。

MステではRADWIMPSが「新世界」を披露したあとに、小沢健二が「自作をする」と題した、こんな朗読をした。

彼の書いた童話『うさぎ!』を読んでいる人なら、たぶんピンとくる人は多いと思う。マスクや餃子を自作するというのは、つまりは、市場化の圧力に生活のなかで抵抗するということを意味している。資本主義の話。

新たな習慣が生まれ、それが、少しずつ過去を古くしていく。ニュー・ノーマルが訪れるときに、過去の価値観の何を捨てていくのか。変えずに持っておきたいものは何か。それを取捨選択する時間が今だ。

社会なんて、そんなに簡単には変わらないと言う人もいる。僕もそう思う。

でもその一方で、世界史をちゃんと学べば、いろんな王朝や体制が、だいたい250年の周期で終わっていくという共通点を見出すことができる。江戸幕府だってそうだし、ルイ16世が処刑されて終焉を迎えたフランスのブルボン朝だってそう。

では、今から約250年前に何があったか。

その頃に確立された”アンシャン・レジーム”の終わりが、いよいよ顕在化していくのではないかという風に思っていたりもする。

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