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いつだって変われる

『自己肯定感』という言葉をよく聞くようになりました。
日本人はそれが低いだとか、それが高いと幸福だとか。

アドラーに興味が湧いたのは、息子の受験を機に岸見一郎さんの本を2冊読んだところからでした。
「幸せになる勇気」に登場する三角柱の話「これからどうするか」という言葉に私はドキッとしました。
「これが私には足りなかったんだ。」そう思ったからです。

だから、今回、中島輝先生の「アドラー流メンタルトレーナー資格講座」を発見したときは、「これだな。」と思いました。

この2日間、アドラーの教えや、自己肯定感について学んで気付いたのは、相当昔の私は自己肯定感が低かったということ。
まぁ、正直「やっぱりな」という気持ちです。

小学生低学年の頃「自分なんて必要のない子だ」と思って、家族が外出している時によく寝室のベッドの上で泣いていたことを思い出しました。

自然の中での体験を多くした子は、自己肯定感が高いってことを聞いたことあるけど、全然そんな事はなかった。
(かなり自然の中での活動を両親はさせてくれてたよ。)

「自分はいても、いなくても一緒」
その気持ちは、ずっとずっと消えなかった。

高校生になってもずっと、自分が生きている意味がわからなくて、「言葉」を描いたり、「歌」を作ったり、「脚本」を書いたり。
そうやって吐き出していかないと生きていけなかったんです。
そういうことをすることが好きだと思っていたんですが、それは「生きる」ために私にとって必要なデトックスだったと大人になってから気づきました。
(「自分は幸せ者だな」と思えるようになってから、一切そういう言葉や、歌や、本が書けなくなったのです。面白いね。)

そうなったきっかけってなんなんでしょうね。
ずっとそこばかりを考えていて、それは母が弟を産む時に私に何も説明せず、入院して一週間いなかった事なのか。
何が原因だったんだろって。
そんな、原因が分かったところで解決なんてしないのに、ずっとそこばかりを考えていました。

そして、人のせいにしていました。

生きていることも「自分が死んだらお父さんが悲しむから」という理由からでした。

そんな自分が変わったのって、いつかなって考えると、28歳で子宮頸がんの疑いがあって行った手術なんですよね。
(切った後の検査では高度異形成で、癌まではいってませんでした。)

「消えてもいいな。」と思っていた私が生まれて初めて

「やっぱり死にたくねぇなー。」


と思った瞬間でした。
死ぬ確率なんてほぼほぼないに等しかったけど、全身麻酔も万が一があるからなぁって。

結局、術後は呼びかけの言葉でスーッと麻酔が切れて戻ってきたんですけどね。


手術前、私はとある言葉をずーっとずーっと口に出していっていました。
意識的に言ってました。
言い聞かせていました。

「私は、悪い細胞と一緒に、悪い男の縁も(笑)、悪い仕事も、悪い人間関係も全て切る!!!!!!!!!!」

その結果、全てうまく切れました。
自分で決めたようになりました。

そして、生まれて初めて「これからは自分の人生を歩もう」と思いました。

私が「笑える」のは生きている間だだけ
私が「笑わせることができる」のは生きている人だけ

そう思えた瞬間、世界が変わりました。
自分軸で世界が動き始めました。

だから、隣の人が泣いて毎日過ごしていても、それはその人の人生、私は「知ーらないっ。」誰よりも笑って生きるんだもーん♪
死ぬ時に「私、人生で誰よりも笑ったわー😄」って思いたい!
そんな気持ちで生きようと思いました。
自然と思えました。

それからの私はほんとひどいですね。
良い意味でひどいです。
小学生みたいなもんです。
子どもの頃の方が大人だったな。

昨日、今日と学んで、「あー、ずーっと私他人軸で生きていたな。」と気付けました。

未来は変えられます。

それは「」から繋がっていくものだから。
そして、ずーと言ってるけど、過去に起こった事は変えられなくても「過去の捉え方」も変えられる。
(これ講座でも言われてたから、やっぱりね!!って思いました。)

必要なのはきっと「変わっていく勇気」なんだろうな。

でも、大丈夫だよ、いつだって変わっていけるよ。

あなたにはその力があるのだから。

生まれてきた全ての人は特別です。
ただ、その事実に気付くか、気付かないか
ただそれだけ。
それだけの違いなのです。

今日も良い1日を✨🫶✨

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