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他者とつむぎだす世界

青空を富士つき抜けて今朝の秋     虚雷
 日数も夢の命うれしく        海牛
大事そに手に受けてみる初霰      牛
 綿入れ羽織縫ひ反す夜        雷
そつと出て障子に蒼き冬の月      雷
 湯殿はうつる影の黒猫        牛
花片も八幡宮の常夜燈         牛
 衣ひるがへし油さす人        雷

岡潔著、森田真生編『数学する人生』、新潮文庫、p.202-203

上に引用したものは、物理学者の中谷宇吉郎(虚雷)と数学者の岡潔(海牛)による連句の一部です。

一人ではつくれない世界が生みだされる連句に興味をもちました。

最初の人がつくった575の句と次の人がつくった77の句の間(あいだ)におのずと何か「間(ま)」のような休符のようなものができて、そこに味わいの深まりがあるように思いました。ゆっくりと場面が展開していくような深みがあるように思います。

将棋やチェスの対局での駒の一つ一つの動きも相手との勝負のなかで生みだされてゆくもの。

小説『猫を抱いて象と泳ぐ』(小川洋子著)の主人公である、チェスを指す少年の言葉を引きます。

心の底から上手くいってる、と感じるのは、これで勝てると確信した時でも、相手がミスした時でもない。相手の駒の力が、こっちの陣営でこだまして、僕の駒の力と響き合う時なんだ。そういう時、駒たちは僕が想像もしなかった音色で鳴り出す。その音色に耳を傾けていると、ああ、今、盤の上では正しいことが行われている、という気持ちになれるんだ。上手に説明できないけど…

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』、文春文庫、p.103

チェスは勝負だけれど、盤上で自分の駒と相手の駒とを響かせながら終わりに向かって一手一手すすませていくものだと知ったとき、何か芸術表現をしているもののように感じました。

私は将棋もチェスもやったことがなく、ルールもよくわからないのですが、駒の動きを記録した棋譜に詩や物語を読みとれる人に憧れます。

映画『三月のライオン』(原作 羽海野チカ 漫画『三月のライオン』)を観たときに、主人公の棋士が、他の棋士たちの対局の棋譜を読む中で、そこに一篇の冒険譚を読んでいるようだと表現する場面があり、将棋のことを勉強してみたくなりました。棋譜を読めるようになりたいなと思うこの頃です。



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