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『高安国世アンソロジー』を読んでーあとがきと『眞實』について

 2024年1月号の「塔」の年頭所感の中で吉川宏志氏が、今年は「塔」創刊70周年の記念の年であり、創刊した高安国世の没後40年ということもあり、この機会に『高安国世アンソロジー』を読むことを勧められていて、さっそく手にとってみました。
 今回、中古で見つけたのですが、巡り巡ってこの一冊を手にできたことはありがたいなと思いました。はじめて手にしたときにぱらぱらとページをめくりつつ、あとがきを先に読んでしまいました。この本は永田和宏氏が選歌にあたり編まれたもので、永田氏のあとがきを読んで、感銘を受けたので、最初にその一部を紹介したいと思います。
 

いい歌をそれぞれの歌人が後世へ残していこうとしなければ、現在という時点で歌を作っている意味はない、というのが私自身の信念でもある。願わくばこの一冊を手にした誰もが、高安国世の十首を諳んじていただけるようになれば、この一書の刊行の意味は十二分に果たされたことになろう。

p.228

 このあとがきの言葉からnoteで短歌についての記事を書くことへの勇気をいただいたように思います。

 次に、高安国世について略年譜から簡単に引いてみます。

大正2年(1913)0歳 誕生。
昭和9年(1934)21歳 土屋文明にはじめて対面。「アララギ」に入会。
昭和14年(1939)26歳 結婚。
昭和26年(1951)38歳 近藤芳美を中心に「未来」創刊、参加。
昭和29年(1954)41歳 「関西アララギ」の編集を離れ、「塔」を創刊、主宰する。
昭和59年(1984)70歳 逝去。

p.230-232参照

 年譜の中で、高安国世が「未来」にも関わっていたことをはじめて知り、驚きました。また、「アララギ」の存在の大きさも感じました。どのような思いで「アララギ」を離れて「塔」を創刊、主宰したのか知りたいなと思いました。土屋文明や斉藤茂吉の短歌もたどってみたくなりました。こうした気持ちは「塔」に入ったからこそなのだろうと思います。結社に入ると、そこにゆかりのある人へとつながって、さらにさかのぼってゆくことで、これまでに残されてきたたくさんの歌と自分が何か関係をもてたような気持になります。今、「塔」で短歌をつくれていることがありがたいです。

 さて、いよいよ歌の紹介に移ります。
 私は、昭和24年(1949)(高安国世36歳)に出版された『眞實』の中の夫婦関係を詠んだものに強く惹かれたので、今回は夫婦の歌に焦点を当てて紹介したいと思います。

口ごたへ我がして居れどかくまでに寂しき妻の言葉知らざりき
よくわかりましたわ今度こそと妻言へばこれ迄かと眼閉づ
取り返しつかぬ思いに眼閉づ無理重ね來し妻を知らざりき
何を怨み何を憤らむさびしき二人おのおの傷つけあひて

p.41

かくまでに二人孤獨に眠らむか亂れし部屋に月かげ差して
男として仕事したしと言ふさへにいたいたしき迄に妻を傷つく
快く我に働かせよと望むすら今妻の生活を否むに等し

p.42

 とてもリアルに夫婦間の分かり合えなさが表れていると思います。
 夫側の立場で詠まれていますが、これらの歌の中の妻の姿もありありと立ちのぼってくるところがすごいと思ったところです。自分の苦しみと妻の苦しみをまるまる受け止めた作者だからこそ、歌の中に夫と妻をそれぞれの正しさを持ち合わせながら存在させることができたのだと思います。

 今回はここまでです。お読みくださりありがとうございました。

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