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福井晴敏「亡国のイージス」涙しながら終章を読了した。




福井晴敏「亡国のイージス」が刊行された1999年の頃、わたしはまだ小説を読んでいたはずだが、そしてこの作品が日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞、大藪春彦賞をトリプル受賞したこともわかっていただろうに、なぜ読まなかったのだろう。
刊行から24年後の今日、さっき下巻を読み終えたばかりだが、この感動をどんなふうに書けばいいのか。こういう圧倒された感じは「不毛地帯」を読み終えた時に似ている。
ストーリー展開、さまざまな場面のディテール、人物の深奥な内面。素晴らしい。どうやったらこんなものが書けるのか。
こんな2作品に優るような小説、フィクションをわたしは読んだことがあったのだろうか。ヘミングウェイ、ドストエフスキーなどなど考えてみても思いつかない。真にすごい小説というものを、わたしは知らないできたのではないか。

だがこれは単にすごい小説、フィクションだという以上に、2022年ウクライナ侵略以後の世界における日本という国のありかたを24年も前に問うていた、予告或いは警告していた。
そしてその最大の危機、絶望的な状況下で堅固な意志、勇気、高潔な責任感を見せた日本人を描いた。

終章での仙石、行、渥美、宮津芳恵の慟哭び涙しながら読了し、こういう日本人でありたいと思った。
わたしたちの両親、祖父母の世代の人々が創り残してくれたこの国、日本人のアイデンティティを守り、子どもたちに残してやるために。