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人間やめます

前回、気持ちの整理をするために吐き出した文章の最後に
「やめたい」と書いた。

この「やめたい」は、生きるのをやめたいって意味もあるし、この面倒くささをやめたいって意味もあるし、色んな意味を含んだ「やめたい」という言葉だった。

昨日何気なく友人と話をしていたら「人間やめたいよね」っていう会話が出てきた。
それを聞いた途端『あ、それだ』って思った。

その友人も私も生きるのがとても苦手で、でも生きることを頑張りたいって思ってて、それでも頑張りすぎてたまに人間の形を保つことさえ困難になる仲間同士でもあって。
だから不意に「人間やめたいよね」って言われた時にピンと来たんだ。

人間として一生懸命頑張って生きていたいと思っていながらも、それらが上手くできなくて苦しみもがいている人間は、たまに人間やめないとダメなんだって。

だから昨日、私と友人はお互いに許可を出し合った。
『人間やめていいよ』って。
普段頑張ってるから。無理してるの知ってるから。
だから、しんどい時は人間やめていいよって、許しあった。

私はその時夕食後のデザートにケーキを食べようとしていて、ついでに紅茶を入れようとしていた時だった。
だから心の中で宣言した。

『よし、このケーキ食べたら、今日はもう人間やめよう』って。

そこからむしゃむしゃとケーキを食べて(めっちゃ美味しかった)紅茶をぼーっと飲みながら、私は人間スイッチをOFFにした。

歯磨きをして、顔を洗って、まだまだ早い時間だったけどお布団にダイブ。
お風呂はもういい。人間じゃないし入らなくても。

ダラダラと何も考えずスマホをいじって、気になってたドラマをAmazonPrimeで見て、適当な所でそのまま寝た。

私は精神的に落ち込むと、寝込んでしまって一日中お布団から出られないなんて日がよくある。
そういう日はお布団の中でダラダラ過ごすのだけれど、いつもどこかで自分を責める声が聞こえていた。
『別に体は元気なのに何にもしないでだらしない』
『こんなに時間があるのに何も出来なくて情けない』
『何も出来ないのはただの怠けなんじゃないの』
そうやって自分を責める声がいつも聞こえていた。

でも昨日は違う。
私は人間スイッチをOFFにすることを自分に許した。
人間をやめるって宣言したし、それを許しあった友人もいる。
だから、何をしても、何をしなくても、誰も私を責める権利が無い。

そうしたらどうだろう。
同じようにダラダラしていた今までとは全く違い、とても心穏やかにダラダラ出来たのだ。
(ダラダラするのに心穏やかも何もないと思われるかもしれないけどね)

無意味な時間を過ごしていても『今人間じゃないんで』って言える。
何も生み出せなくても『人間じゃないから無理っす』って言える。

こういう時間を持てることが、こんなに心休まるなんて。
これこそ心の休息だよ。
これが必要だったんだよ。

そんな「人間やめます」という世紀の大発見をしたから、これからも定期的に人間をやめていこうと思う。

もしもこれを読んでて『生きるのしんどいなー』とか『頑張るの疲れたなー』って思う人がいたら、ぜひ試して欲しい。

『人間やめます』って自分に宣言してそれを許して、頑張れなくても動けなくても『いや、自分人間じゃないんで』って言葉で全部片付けて欲しい。
とってもホッとするから。

多分人間って、生きてるだけでかなり大変。
だから人間じゃない時間って大切だと思う。
もし許可が必要なら私が出してあげるよ。

「人間やめていいよ」

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