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わっきゃい

YouTuberでありコピーライター、京大在学中のわっきゃいさんもまた進行気質の文脈解体的な言語感覚をしています。そしてそれがいわゆる芸人のそれや今までの世代と違うのは「他国から見た日本語のモノマネ」になっているところです。


タモリさんがやっていた「四ヶ国語麻雀」などのいわゆるハナモゲラ語が音感的な言語感覚の解体であるのなら、街裏ぴんくさんやわっきゃいさんは文脈や行間、その言葉に含まれる表面的な意味より深度の高い感情や概念の解体を行っています。

街裏ぴんくさんが「芸人やエピソードトークや日常会話程度のすべらない話のモノマネ」ならば、わっきゃいさんはそれよりもっと「教科書的、標準語的なプレーンな日本語のモノマネ」をしている芸です。両親が日本人だけどアメリカ育ちの帰国子女なので英語も日本語も話せます。その事が電車のアナウンスやニュース番組のアナウンサーの喋り方にある種の引っ掛かりや違和を覚えるもしくは抽出されるのだと思います。それをバカリズムさんや浅越ゴエさんなどがやってるネタの手法で表現しています。


そのアプローチは逆に英語に対してもそうでこの動画の「なんとなく切り抜ける英語」のコメント欄の盛り上がり方はある段階からの英語教育の弊害あるあるを加味している実用性の高いネタでもあると思います。


そしてこうなってくると、ある年代からフリートークの意味合いが変わってくると思います。
ここらへんの世代の人たちがこういう形の「堅い日本語や形式的な喋りのトレース」と「フリートークモノマネ」の折衷をバランスよく計れた時、返しのスピードや会話の中でひとり当たりの喋っていい量の適切配分が尋常じゃなく研ぎ澄まされそれによって格差が生まれるとすら思ってしまいます。

つまり強引な主導権の握り方や声量でのマウンティングが成立する会話とは全く違う視点の話術なので今後それが間違えずに出来るかがトークの上手さに問われ出すのかもしれません。それはさすがに考えすぎかもしれませんがそういった片鱗を感じさせる喋りではあると思います。



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