オタクの幸せと生きづらさ。

年会費を払って入会したファンクラブ。行きたいライブは山ほどあった。しかし、どれもこれも倍率が高くてチケットが当たらない。会いたいときに大好きな人たちに会えない。
オタク同士のマウントの取り合い。良席だった、ファンサもらった、レアグッズが出た、サインが当たった。SNSで流れてくる見たくもない他人のマウントが苦痛だった。
遠征費とチケット代、グッズ代で常にジリ貧。好きな人のために使うお金を捻出するのに自分のためのお金はどんどん減っていた。
チケットやグッズのやり取りで揉めた。友達だと思っていた人には良いように使われていただけだった。ショックだった。

心が折れた。オタクを辞めようと思った。

そんな時だった。
コロナウイルスの流行により世界が変わった。

大好きな人に会えなくなってとても悲しい。
友達に会えなくて寂しい。
仕事を頑張る目的と生きる目標がほしい。

最初は、本当にそう思っていた。

だけど、今は以前より生きやすいと感じている。

予定されていたライブが全て中止になり、所持しているチケットは全て返金対応となったため貯金が増えた。
セーブする必要がなくなった分、コスメや洋服、美味しいランチにお金を使えるようになった。

物理的に誰もが誰にも会えないことでマウントの取り合いが減った。
配信のライブは、現場の後方席で見るよりもずっと近くで大好きな人の姿を見ることができたし、みんな平等だ。

同じジャンルを好きだったオタクがメディア露出の多い別のジャンルに流れ、オタクとの関わりが減った。
色んな取引も全てなくなって対人ストレスがなくなった。

大好きだったことが、いつの間にか息苦しいことになっていたのだと気付いてしまった。

好きなことを好きなように楽しんでいたあの頃が、もうずっと昔のことのように感じる。

もしも、近い未来に元通りの世界が戻ってきたとして、私は以前と同じように現ジャンルでオタクをするかと言われたら多分しないと思う。

家にいる時間が増えたことで、これまでほとんど見ることがなかった民法のテレビ番組を見るようになった。その影響で別のジャンルにも大好きな人が増えた。
そのジャンルは一般発売の日が過ぎてもチケットが買える。3回見ても現ジャンルの1回分には相当しないチケット代金。チケットが買えるということは取引の必要がない。開催場所は大体都会でアクセスもよく、遠征費もそれほどかからない。

生で見るパフォーマンスに勝るものは無い。しかし、そこに至るまでの過程にいつも辟易していた現ジャンル。
今までなら現場にさえ行けば、それすらも上回る喜びと幸せがあった。だけど、そんな過程は無くとも得られる喜びと幸せを知ってしまった。

大好きな人には嫌いになる要素などひとつもない。現場に足を運べば、姿を見れば、好きだなあと実感するだろう。
いつだって変わってしまうのは自分や周りの環境だ。

かれこれ15年近く誰かのオタクでいる。大好きな人がいることは幸せで楽しくて、苦しい。
そういうものなのだと理解はしているのに、ずっと好きでいることがこんなに難しいのはなぜなのだろう。

大好きな人のためなら、どんなに辛い現実も頑張れる。
大好きな人のためなら、おしゃれをすることもダイエットをすることも頑張れる。
大好きな人のためなら、お金を使うことだって我慢できる。

大好きな人のためなら、大好きな人のためなら。

ああ、生きづらい。

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