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生と死と、ときどき私。

自分はこういう仕事に就いているので、よくよく人と話すことが多い。もともと人と話すのがとても好きなので、苦痛にはならない。むしろお喋りできることが嬉しくて、わりと好きだったりする。そしてときどき思うけど、【ひとがすきだなあ〜】という気持ちになる。でもそれはもちろんいつもじゃなくて、ときどきなのだ。相手がいて成り立つこの仕事だけど、心ないことを言う人もたくさんいる。ギャップに苦しむこともある。でもそういうもんだなあ〜、と思うことができる様になったのは、最近。むしろ今でも真正面から向かって、言いたいことを言ったり、ぐっとおさえた!と思ったのにぶわぁとなるときもあったりする。思い返した時に「自分がだいぶ子供だった」と思う時もある。人に助けられた、と思うこともたくさんある。

先日あるひととお話ししてこんな言葉を聞いた。
「生まれてからはじめて出会う他人、死ぬ前に最期に会う他人。」
私たちは、そうなる場合も多くて、むしろわたしは死ぬ前に会う他人になり得る。うまれた後にはじめて会う他人、を目指したときもあったんだけど(目指したからじつはいまこの仕事をしている)、うまれる瞬間に立ち会うことは、いまわたしはとてもじゃないけど、怖くて出来ないなぁと思っている。

死ぬからいいの?と言われそう。それは違うんだけど。もしかしたら、わたしはなにものか、になりたいのかもしれない。もちろん、なににもなれないのも分かっている。そして、なにより「誰かにとっての大切な人」の死に向き合うこと、ができるこの仕事って、すごいなあといつも思っていた。でもそれは、この世界に残された人、がどう感じながら生きるか、にとても影響力がある、ことだと思っている。なにも考えずに、居たわけでもなくて、わたしはずーーっと、「この人を看取りたい。」と思って生きていた、ことがある。でも、環境が変わってそれは叶わなくなってしまったんだけど、今でもずっと、じわじわ、思っています。ぢわぢわ、かな。ニュアンス。

「あなたに最期を看取って欲しい。」
「遅いですよ、くるのが。」
「ずっと、待ってましたよ。」

いろんな言葉を投げかけてくれたご家族が、今でも、もしかしたら、覚えていてくれている、かもしれない。もちろん、悪い印象でなければ、ばんばんざい、だったりする。でももちろん、覚えていて欲しいなんて思ってない。わたしは、ちゃんと【ご家族と、】過ごした時間を覚えている。わたしが思っているあの人と、ご家族の思っているあの人は、ぜんぜん違うんだろうけど、ここで過ごした時間は、あの人が懸命に生きた今なのだ、といつも思う。

いろんな経験をして、わたしは今ここにいるけど、やっぱり 人間が好き、という思いにもなる。もちろん!全てがそうではないんだけども。嫌な思い出、思い出したく無いこと、自分がしてきたひどいこと、目を背けるつもりはない、けれども、いろんな人から受け取った思い出も、しっかり忘れずに生きていきたい。【誰かにとってあかんやつでも、誰かにとって大切な人。】さまざまあるけど、わたしはわたしができることを精一杯やる、それに尽きる!


意味わからないけど、一生懸命に生きている人が好きです。わたしもそんな日ばかりにいかないのは分かっているけど、一生懸命でありたい、と思います。
たくさんの刺激をくれる わたしの大切な人たち、むしろわたしにすごい不快な思いをさせてくれる人もいるけど(語彙がすごい)、それもまあある意味経験、、、といつか思えたらいいね。思えなくてもいいよね。

わたしの大好きな人たちと、大好きな人の大切な人たちが、幸せでありますように。と思う私でした。ひととひとが、話せるうちに、たくさんお話ししておきたい。それがきっと思い出になる。無音の時間も、すてきな時間だけど、言葉として、思い出として、残しておきたい。なんて思ったりする。ひとになにかを伝えること、をやめたくないな。おしまい。おわり。

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