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競技活動自伝No.14〜サハラ砂漠マラソン後半戦〜

この文章は、書籍『大陸を走って横断する僕の話。』
(2016年11月23日 台湾 : 木馬出版社より発行)     の日本語原稿です。

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〜サハラ砂漠マラソン後半戦〜


【第四ステージ57km】

大会の山場。制限時間36時間の特殊ステージ。

砂漠の夜は道迷いを起こしやすいため、日没を過ぎてもゴールできないなら、下手に動かず途中で野営して、2日かけてゴールを目指さなければならない。そしてその時点で上位戦線からの脱落が決まる。勝負は、最初の日没までにこのステージをゴールできるかどうかだった。

先に出発する約600人のランナーを見送った後、上位50選手だけで行なわれる正午0時の第2スタートまではテントで休みながら体力の温存に努めた。要らなくなった地図を破り、先に走り始めた同じテントの仲間たちへ手紙を書いて過ごした。

スタート20分前。息を潜めてた猛者達がのそりのそりと動き始める。
スタートラインに安っぽい盛り上がりはなく、かといって静寂でもなく、張り詰めた空気は、熱を帯びた世界中のトップランナー達と順位を凌ぎ合うサバイバルの予兆を感じさせた。

号砲と同時に先頭を駆け抜けたのは、大会8連覇中のアハンサル・ラッセンと、その弟で8連続準優勝のモハメッド。このレースの優勝、準優勝のトータル賞金額は日本円で約110万円。彼らにとって決して安い額ではない。砂漠の帝王たちの走りに、スタート付近に集まっていた現地の子供たちからの黄色い声援が飛び交っていた。

後を追ったのは、フランス勢を中心としたヨーロッパ各国のトップウルトラランナーたち。トップ集団からは離されてゆくものの、僕の周囲でものっけからハイペースなせめぎ合いが続いていた。

瓦礫と砂利の平坦コースを1時間で抜け、まずはCP1へ。補給食を摂っている一瞬の油断で、周りの選手たちに引き離されてしまう。先頭集団はすでに遥か前方で点となり、僕の目の前では女性選手中で総合1位のティラディンと2位のトゥダによる主導権争いが続いていた。女性の世界一となら自分でも競い合うことができる。負けてたまるか。

20kmを越え、2時間前に出発した日本人の仲間達の背中が見えた。僕には声をかける余裕は、なかったけどスタート前に用意しておいた激励の手紙を追い抜く瞬間に手渡しながら、振り返らず進む。負けんなよ!後ろからの力強い声援に押された。

延々と続く砂丘越え。抜けてからは、悪路の砂利道へ。当然の炎天下。前のランナーの背中から一瞬でも集中力を切らせば、倒れ込んでしまいそうだった。

CP4からCP5へ。太陽は地平線に近づいており、気温は少しずつ下がっている。日が沈めば、暗闇による道迷いのリスクが跳ね上がる。今が勝負どころだと分かる。全てを出し切る覚悟でペースを上げ、前の集団との距離を縮めていった。

CP6を越え、ゴールまでラスト4km。陽は既に沈んだ。水の補給はしない。ティラディンを置き去り、前方のランナーのヘッドランプの灯りめがけて最短距離を突き進んだ。前方の獲物を捉えては、追い抜く。上位ランナーはさすがに勝負勘が鋭く簡単には引き離せなかったが、それでもペースを揺さぶり競り落とした。ラスト600m。黒人選手とのデッドヒート

明日のことは何も考えなかった。ここまで来ればもう一滴の余力も残す気はない。ギリギリまで一定の間合いを保っておき、ラスト30mで一気にしかけた。頭一個分、胸を突き出しゴール。息も荒々しいままに、敷かれたマットへ倒れ込み、意識が続く限り星を眺めた。


第4ステージ 57km
最高気温 39.4℃
最低気温 18℃
湿 度  13%
記 録  7時間19分19秒
順 位  38位/611人中(内26名リタイヤ)
総 合  19時間26分13秒(31位)

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2,605字
一冊の書籍原稿を章ごとに配信する連載形式でお届けします。(2019年7月8日〜29日) 期間終了後も、一冊の書籍原稿としてお楽しみいただけます。

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