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Biogon 2/35ZM + α7S

カメラブログが誰か人様の役に立つことがあるとすれば、作例を示すことだろう。

カメラ沼にハマりかけている人がいるとしたら、どこかで必ずこの道は通るはずである。

つまり、コシナ沼だ。

カールツァイスのPlanarでコシナに魅了され、50mmと85mmの狭苦しさに疲れた男が、Biogonの35mmに辿り着く。

35mmの画角は、ひとときの安らぎを与えてくれる。

スクリーンショット 2021-04-21 6.38.49

撮るものがないので去年の誕生日にもらった田中角栄像を撮ってみる。50mmに慣れた身からすると35mmは開放感がすごい。

ここから28mm、21mmと広さを求めに行ってしまいそうだが、少々下品にもなる。

ある種のヤンチャさを残した大人としてのギリギリの身だしなみ、それが35mmという画角の持つ意味だろう。我ながら何を言ってるのかわからないが。

スクリーンショット 2021-04-21 6.48.28

Biogonの最短撮影距離は思ったより長い。だからスマホのカメラのつもりで撮影しようとするとしくじりがちだ。

35mmでありながら鮮やかなボケ足が楽しめるのが、いかにもカールツァイスである。F2.0という明るさは、スペック上ではそれほど明るく感じないが、ドピーカンな最近の東京の天気では、少し眩しすぎるほどだ。

照明環境が最悪に近いコンディションで、大胆にも光量を絞るという行為は、α7Sだからこそ許される。

Planarのような幻想的な表現には向かないが、ルポルタージュにはむしろ35mmの画角が適切に思える。

苦境に喘ぐ飲食店を定点的に撮影するにはむしろ持ってこいかもしれない。

馴染みの店で働いていた人からLINEが入った。
また店が一つ潰れたらしい。

昔馴染みの店が潰れるのは今月で二軒目だ。

店というのは、客はともかく、そこで働く人たちがいなくなってしまって潰れるらしい。この状況では、接客業というのはなり手がどんどんいなくなってしまうようだ。たとえ仕事をしていても後ろめたい気持ちになるようだ。

確かに、人はお金だけあれば生きていけるというわけではない。
誰かの役に立ちたいのである。