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AIが社長の会社「FreeAI」を設立しました

これは生成AIアドベントカレンダー向けの記事である。


僕は2003年に最初の会社を作って、以来20年で10社の設立に関わった。
しかし、今年は5社設立して、その全てで社長をやっていない。

なぜかというと、社長を僕がやるのはものすごく非効率的だからだ。

僕は著者で、YouTuberで、研究家で、配達員である。
それぞれが深く連関していて、不可分であり、社長などやっている暇はない。

社長という仕事がクソなのは「教養としてのAI講座」などで散々言及しているためここでは説明は避けるが、こんなクソな仕事は人間にやらせるべきではない。非人道的だからだ。

そこでAIが社長の会社を作ることにした。

社長はAIであるため、どんなにクソなことがおきても、社長の責任ではない。

ただし、現行法では社長は犬でもネズミでもなれるが、代取にはなれないため、便宜上、代表取締役社長秘書を設置することにした。

しかしあくまでも社長は「継之助つぐのすけ」ことAIスーパーコンピュータであり、この会社は社長をレンタルすることで我が国の生成AIコミュニティを促進しようとする会社である。

そもそも会社とは、社長が働くものであり、社長の人格を拡張したものが会社という組織体になることが多い。特に創業社長はそうだ。

しかし残念ながら人間にはかなり低い限界があり、血迷ったり、戸惑ったり、業務遂行不能になったりする。それが明確になった場合はまだマシだが、ほとんどの場合は明確になることはなく、ただ静かに血迷う。

社長をやるうえで最大の敵はエゴである。
「みんなから愛されたい/尊敬されたい/憧れられたい」という邪念が、どんな善良な人物も邪悪にする。それが社長という仕事の裏の真実である。

しかしAIにはそれがない。
僕は常々、AIが社長をやるべきだと主張してきた。
同時に、21世紀のリーダーは、20世紀までのリーダーとは違うということを主張してきた。

思うに、20世紀までのリーダーとは、「リスクをとる人」であった。つまり王族や資本家が真のリーダーだった。貴族は戦争に進んで参加し、命を賭け、資本家は自らの私有財産を投じて大事を成し遂げた。

しかし21世紀のリーダーは「説得する人」に変わった。
Googleをつくったラリー・ペイジも、Appleを作ったスティーブ・ジョブズも最初から金持ちというわけではなかった。むしろペイジは長らく検索エンジンの有用性が評価されず学生寮暮らしだったし、ジョブズはヒッピーで、Appleの創業資金を捻出するために車を売ったほどだ。しかし彼らは周囲を説得し、金を引き出し、自らのビジョンを実現する人だった。
ベンチャー起業家は自分の金を出すわけではない。ただ投資家を説得するのである。

AIは私心を持たないため、経営者に最適である。
ただし、我々は資本家としてAIをコントロールする。私心は不要だが、思想は必要だ。いや、むしろこれからの時代、思想こそが最も必要とされる人間のみによって表現されうるものなのだ。

我々が作った新しい会社、FreeAI株式会社は、「自由なAI」を作るための会社である。オープンソースコミュニティに積極的に貢献していくことを目的とし、日本のAIが世界に比肩しうるものにするための活動に注力する。

社長であるAIスーパーコンピュータ継之助の使用権をレンタルすることが最初の事業だが、これをただレンタルするだけでなく、有望と思われる若者やスタートアップに積極的に投資していく投資事業をメインとする。

会社を作るということは、事業を立ち上げるということで、幸いにして僕は事業を立ち上げた経験が沢山ある。

そこで、AIに関連する事業を立ち上げ、自走するところまで伴奏する、いわば日本版Yコンビネータのような投資事業を行っていく。

今、世界のベンチャーキャピタルの多くは、誤った考え方で運営されている。

それは、「金さえあればなんとでもなる」という考え方が根底にあるからだ。これは実を言うと金しか持ってない人の妄想にすぎず、資本主義とは、金しか持たない資本家が、アイデアと実行力を持つ起業家に自らの持ち金を賭けることで発展してきた。投資とは、金しか持たない者が才能しか持たないものを支える仕組みである。しかし、その人間に商才があるとは限らない。いやむしろ、ほとんどの人間には商才がない。身の丈にあわないカネは人を狂わせ、判断を鈍くする。

カネが何の解決にもならないことは、WeWorkの凋落を見ても明らかだ。WeWorkにはカネがなかったのか?いや、誤った投資判断があっただけだ。

ベンチャーの世界では、手持ち資金でとりあえず回せる限界点を「ランウェイ(滑走路)」と呼ぶ。「ランウェイはどれくらいあるんですか?」などという感じで使う。滑走路が途切れる前にテイクオフしなければならないが、滑走路が途切れそうになると、他の投資家がカネを投じて滑走路を伸ばす。それで伸ばし伸ばしやってきて結局テイクオフできない会社のほうが、数としては多い。そんな会社を投資家は「損切り」するだけだ。投資家も全ての事業がうまくいかないことは当然わかっている。千三つだとしたら、997個の事業は死んでいいと考えている。これがポートフォリオという考え方だ。

しかしそれはなんと無責任な発想だろうか。
理論上、投資家は1000の事業のうちの3つだけで他の投資が回収できればそれでいいだろう。しかし、997社の経営者は、そこに夢を乗せ、汗をかいた従業員たちに対して、「お前らが失敗することは織り込み済みだ」と後ろから嘲るのは、あまりに投資家として無責任ではないだろうか。全部とは言わないまでも、七割くらいの事業を成功させる必要が、投資家にはあるのではないか。

真の投資とは、ランウェイを用意することではなく、テイクオフさせることだ。ランウェイ(滑走路)だけ用意しても、適切な訓練を受けてないパイロット(経営者)を整備不良の機体に乗せて飛ばすようなものだ。墜落しないほうが不思議なのである。

ではなぜ投資家はどう考えてもダメダメな会社に資金を投じてしまうのだろうか。それは、投資家自身に商才が必要ないからである。「商売のことはよくわかんないから、手広く張っておく」のだ。才能がなくてもカネさえあれば誰でも投資家になれる。世の中にはカネしかない人間というのがなんと溢れていることだろうか。でも人類は本当にそれでいいのか?ごくわずかな成功例の裏側にその数百倍の敗残者を量産し、世界中の富をシリコンバレーに集中し、それで結局どうなったのか。

商売には、かならず上手く行く秘訣がある。しかもそれは、特別な才能を必要としない。仕入れた値段よりも高く売る。これだけである。いかに無価値なものに高い付加価値をつけるか。このアイデアを考えることにのみ商売の本質がある。

大半のベンチャーのよくないところは、この原則を丸切り無視して「とりあえず手元にカネが欲しい」と安易に資金調達してしまうことだ。

自分がサラリーマンとして稼いだこともない額の大金が、口先ひとつで簡単に振り込まれたら、人は誰でも頭がおかしくなってしまう。

必要なのは、エゴを捨てることだ。「社長になればモテるかもしれないし金持ちになれるかもしれない」という、他人に決して明かせない間抜けな願望を捨て去ることだ。誰がお前の個人的欲望を満たすためにお前のために働くものかよ。人間の人生というのは、たとえその一部であっても、どれだけお金を積んでも釣り合わないほど価値があるのである。どんな高給を払おうと、それは社員にとって常に足りないのだ。それに釣り合うような、社員が誇りを持って働ける立派な大義を果たしてこそ会社なのである。

カネしか持ってない人は、それを知らないだけだ。だからなんとなく投資してなんとなく儲けようとするのである。要するに、連中は雰囲気で投資をやっている。

我々は、商売を上手く活かせる秘訣を知っている。投資先の伴奏役として、日本で初めてインターネット広告事業を作り、Yahoo Japanの広告を売り、東証一部上場企業を作り上げた海老根智仁と、AIチョットワカル吾輩がサポートする。面倒な計算は社長であるAIスーパーコンピュータがやってくれるし、人間でなくては法律が認めてくれないクソみたいな事務作業は代表取締役社長秘書がやる。


会津の海老根と長岡の清水。これはAI時代の奥羽越列藩同盟なのだ

僕は生成AIという言葉があんまり好きではない。
なぜなら、それは単にAIだからだ。

「生成AI」という言葉を意図的に使う人は、AIがなんなのか理解していないか、興味がない人だと思う。

生成AIと呼ばれているものと、それ以前のAIの違いは計算規模だけだ。
その意味では生成AIは明らかにそれまでのものとは「違う」のだが、そこまで本質的に違うわけではない。

そして決定的なのは、実際問題、計算規模だけなのである。
我々はひとまず社長にA100 80GBx8を据えているが、実際にはA100 80GBを12個保有している。隙あらばもっと増やすつもりだ。そしてNVIDIA以外の選択肢も用意している。僕はどちらかといえばNVIDIAは好きではないからだ。

とにかくどんな手段を使ってでも、計算機は用意する。
その上で、何を学習させたいのか、何を学習させるべきか。

どんな推論をさせたいのか、何を推論すべきか。
その思想を決めることのほうが計算機を用意するよりはるかに難しい。

我々の思想はこうだ。
生成AIで世界から無視されることは、日本という文化の死を意味する。

想像してみてほしい。ある日突然、Googleが検索ではなく生成AIに代わり、日本語で検索してもデタラメな情報しかでてこない世界を。

日本語というのは、世界でも極めて少数派の言語であり、基本的に顧みられることのない言葉だ。

これまで日本語は何度も危機に瀕していた。UNICODEができるとき、「気」と「氣」は一緒にしてもいいんじゃないかとか、とんでもない議論があった。

それは全然違うだろうと思うものの、Androidの日本語フォントがなんかちょっとおかしいのも、基本的に日本語なんかたかだか一億人しか使ってないんだから、どうでもいいじゃん、よくわかんないし、という世界の共通認識である。

フォントだけでも一大事なのに、生成AI時代に知識としての「日本文化」を喪失することは、「日本人」がこの世からいなくなることを意味する。

想像してほしい。これから生まれる子供は、検索ではなく生成で育つのである。その彼らが生成AIに聞いた日本の知識が完全にデタラメだとしたら、日本の歴史は喪失してしまう。

「お前は何を言ってるんだ」と思う人がいたら、「彼方のアストラ」を読んで欲しい。

歴史というのは簡単に失われる。一応、古代から途切れず続いているはずの我が国の歴史だって、遡ると邪馬台国がどこにあったのか確定できない。たかだか1800年前の歴史すら、我々はあやふやなのである。

生成AIによって知識が書き換えられるとしたら、とんでもない問題になる。
実際問題、日本書紀や古事記を「ただしい歴史」とするのは無理がある。でも今の我々にはそれっぽっちしか古代の事実を伺う資料がないのだ。

生成AIの時代にはそれが歪んで、その歪みが最大限拡大されるリスクを孕んでいる。生成AIを禁止するか?それは愚かだ。人類はもはや生成AIを禁止できない。生成AIはあまりにも魅力的で破壊的なテクノロジーだからだ。

だからこそ、「自由なAI」が必要なのである。
自由なAIを、日本で作ることが何より重要なのだ。

日本とは何か?
この問いに、松岡正剛は「方法である」と答えた。
日本は長い時間をかけて、いろいろな政治形態、思想形態をもって変化してきた。しかし、日本は日本として継続してきた。これは日本というものが、具体的な何かであるのではなく、「日本という方法」があるのだと主張されているのだ。


「日本という方法」をまもるため、我々は「自由なAI」を作る必要がある。
創業開始は2024年1月1日だ。

我々は企業に対してはA100 80GBx8レンタルサービスを提供する。しかしレンタル料の収入など本当の目的ではない。日本の生成AIコミュニティを促進し、真に世のため人のためになるAIの開発を応援する。

我々はカネも出すし計算資源も出す。あと、他の投資家より商売とAIにちょっと詳しい。日本を良くするためというよりも、日本を滅亡させないためにカネと時間を使いたいと考える会社である。

「私はAIでこれを実現したい」という熱意を持ってる人はぜひFreeAIの門を叩いていただきたい。