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AIで人類が滅ぶとか冗談だろと思っていたのだが

昨日、ひょんなことからピープロ作品のフィルムをデジタルアーカイブにして保存するプロジェクトを見に行くことになった。

ちなみに僕はピープロ作品はマグマ大使以外見たことがない。
ライオン丸やザボーガーは生まれる前に終わっていた。

今、ピープロ作品はなぜか株式会社カラーが権利を持っているらしく、冒険王という雑誌のために撮影された当時の作品の6x6判のカラーポジフィルムが発掘されたので、そのデジタルアーカイブを残したいというプロジェクトをクラウドファンディングしているのだという。ちなみにオール・オア・ナッシング方式なので、現在300万円近くまで来ているが、目標の500万円に達しなければ不成立。なんでこんなに高いハードルが課されているのかは不明。

僕は全く見たこともないピープロ作品なのだが、ライオン丸とタイガーセブンといえば、トチオンガーセブンのパクリ元強烈なリスペクト先であるため、頼まれもしないのにトチオンガーセブンを淡々と作り続けている星和弘さん(本業:油揚げ屋)のことが少しわかった気がした。

https://www.youtube.com/watch?v=LNbNgkX8_2A

まず、トチオンガーセブンについて説明すると、ピープロ作品に影響を受けすぎた新潟県在住の油揚げ屋の店主が、夜な夜な拵えたスーツで自ら脚本、主演、監督、スーツアクター、プロデューサーを行うというスタイルで作られ続けている児童向け特撮テレビシリーズである。

すごいのは、全て自腹で作ってクラファンでお金を集めてそのままテレビ局にお金を払ってテレビシリーズをやっているということ。もちろん星さんには一円も入ってこない。なんという情熱。

この構造のあまりのおかしさに、「激レアさん」に三回も出演するという、もはや「レア」とは何かわからない領域に到達している。

このトチオンガーセブンが作られた理由は、ピープロ作品が途絶えてしまったからだという。つまり、昔は仮面ライダーやウルトラマンの裏番組にピープロ作品があった。しかし色々な時代の流れで途絶えてしまった。

特にピープロ作品で特徴的なのは、ヒーローが「獣の化身」っぽいところである。

ライオン丸はライオン。タイガーセブンは虎というモチーフがある。敵もなんか一歩向こう側のデザインというか、「どうしてこのデザインをやろうとしたのか」というデザイナーの想いが伝わってくるような迫力を6x6判のスライドから感じ取った。これは実際に見てみないとわからない凄さである。

言葉を選ばずにいえば率直にいって芸術の域である。
ザリガニやイソギンチャクやヤゴなど、やたらと触覚やツノが長い敵ばかりを造形したり、やたらとイボがあって気持ち悪かったり。ついには頭が最初から爆発していたり。僕からすると生まれて初めて見る怪人の数々だったのだが、話の流れを全く無視してスライド写真だけ膨大に見たので、頭の中で「なぜこれを作ろうと思ったんだろう」とか、「なぜこのデザインになったのだろう」とか、そういうメタ的な読み取りをしてしまった。

それで思ったのだが、これをスキャンしたデータは、テレビ放送よりも解像度がずっと高い(8Kくらいあるんじゃないか)ので、これで超解像のAIを学習させて、テレビ放送を超解像するとかなりリアルな超解像ができるのではないかということ。いや、どれくらいニーズがあるかわからないが。

もう一つ思ったのは、これをDreambooth(Memeplexでいうカスタムモデル)に学習させてしまえば、毎日ライオン丸の新しいシーンが生まれてきてしまうということ。

もっといえば、最近ついに動画生成も実用レベルまで来ているので、ライオン丸の戦闘シーンとか、まあトチオンガーでもいいんだけど、そういうものの戦闘シーンが丸ごと毎日生成されてしまうのではないか。それも数秒で。

DJ機材のようにツマミを回すと、ちょっとカッコよくなるとか、別のつまみを回すとちょっと可愛くなるとか、そういう感じで「俺の見たいライオン丸の新作」をAIが延々と作るようになった時、もしかすると人類は滅ぶのではないか。

例えば俺は伊丹十三作品が好きで、特に「マルサの女」シリーズは大好きで何度も見てる。しかし残念ながら伊丹氏は鬼籍に入り、もう「マルサの女」の新作を見ることはできない。あのヒリヒリするような緊張感と下品なまでの身も蓋もない感じの映画というのは、伊丹十三にしか作れないのだ。

でももしも、毎日「マルサの女」の新作が見れるようになったら俺はどうすればいいのだ。もちろん津川雅彦や宮本信子にもちゃんと出演料は支払うのである。その上で「AIによる俺のためのマルサの女の新作」が毎日生成され、それを眺めているだけで一日が終わり、また翌日にはマルサの女の新作が・・・

そうなった時、俺は果たして仕事をするだろうか。
俺にとって、日々感じたことを駄文や動画や妄言といった形で吐き出したり、DJ機材で何も努力することなくその場で音楽をかけたりリミックスしたりするという喜びの日々は、もはや仕事とは呼べまい。

もちろんAIが全ての労働を肩代わりしてくれ、住む場所と食べるものに困ることはないという前提においてである。これが達成されるまではまだだいぶ時間があるはずなので我々が生きている時には関係ないかもしれない。しかし僕は常に、今生きている人々ではなく、これから生まれてくる人々の未来に興味がある。なぜなら、そっちの方が人数が圧倒的に多いからだ。

そもそも、全ての会社が経済的な成長を目指さなければならないという前提はどうなんだろうか。バチカンの歳入がフジテレビより少ないからといってキリスト教がフジテレビよりも価値が低いことにはなるまい。

組織とは大なり小なり、それが宗教団体だろうがGoogleだろうが、組織固有の教条ドグマがあり、共同体を守っていくのが第一の存在目的だ。未来の組織はおそらくAIが運営することになるだろう。なぜならそれが一番合理的だからだ。人間を含む全ての生物は、合理的であるとわかっていて、合理的でないままでいることができない。抵抗する勢力はあるだろうが、長い時間をかければ必ず合理的な選択をしていく。

実際のところ、人類は常に死者との対話を大切にしてきた。
我々が小学校で学んだことは、そのほぼ全てが死者からの伝言である。
ある科学者が発見した科学的事実が、存命中の間に小学校の教育課程に含まれることはほぼないだろう。つまり、大抵の人が単に「知識」や「教養」と考えていることは、ほぼ全てが死者からの伝言であり、また仮に著者が生きていたとしても、一度なんらかの出版物になって終えば、その時点での著者の考えが固定化されたものになっていく。

生成AIは、死者をより雄弁にする可能性がある。
答えられない質問に答え、しかも作り手のためではなく、読み手のために知識を柔軟に変形させることができる。

プレゼン巧者というのは、群衆の心理を誘導し、聴衆が「まさに今浮かんだ疑問」に答える。しかし、実際には上手いプレゼンテーションとは、聴衆の意識の方向を誘導し、「ある疑問」が浮かぶように仕向けるトリックに過ぎない。意図的に疑問に誘導しているのだから、それに回答するのは容易い。

生成AIは、もっと積極的にこうしたトリックを使い、死者がまるで生きているかのように雄弁にすることができる。

まだ原始的な段階にあるChatGPTでさえ、アインシュタインならこう言うだろう、ということをしゃべることができる。

こうするとコンテンツを消費するスピードを生成するスピードが追い抜く。
ロケハン用にドローンを飛ばすAIすら出てくるだろう。
AIが自分の知識を増やすために、クラウドソーシングで人間を雇って写真や動画を撮りに行かせるかもしれない。

落合陽一くんがどこかで言っていたのだが、最近のAIは「7秒の曲のフレーズを3秒で生成できる」ようになった。もはや聞く方に時間がかかる。情報は洪水のように生成され、すでに人々は消費しきれない量の動画コンテンツや音楽にサブスクしている。

興味深いのは、サブスクに入っていても、「飽きる」瞬間があるということだ。「あーもう映画はいいかな」とか「あーもう洋楽はいいかな」と「飽きる」瞬間が必ずある。

人間にとっての最後の希望は、この「飽きる」瞬間にあると言えるだろう。
人間は何かに「飽きた」とき、もっともクリエイティブになるからだ。

というわけで新刊出ます

普段、僕のnoteは3000字で1000円くらいの値段がついてますが、1000円で10万字読めるのでまあ実質無料というか。