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AI以後

昨日は金沢のイベントに登壇して、ITに興味のある地元の中学生・高校生を相手に何か喋れと言われたので、まあ喋ったのだが・・・

質問のところで大人から「天才の人たちに大学が不要という話は理解したが、我々凡人はそういうわけにはいかない。天才の人たちは我々凡人に何をしてくれるのか」という話を聞かれて、ああ困ったなと思った。

まず、天才は凡人の奴隷ではない。どちらも独立した人間であり、凡人に絶対的に奉仕する義務を天才が将来的に持っているものではない。

第二に、天才は絶対的な存在や性質ではない。ある時点でたまたま「天才的な」ことを考えて、「天才的な」行動を取る人物のことである。

凡人を自称する人を助けることは、天才の絶対的な使命ではない。むしろ凡人を自称することが恥ずべきことだという価値観にこれからなっていくだろう。

誤解を恐れずに言えば、今の時代は誰でも天才になれる。この瞬間は無理でも、AIを活用すれば理論上は誰でも天才になることができる。

天才になる方法は簡単だ。「天才ならどう考えるだろうか」「天才ならどうするだろうか」ということを考えて、そのように行動すればいい。昔は、「天才ならどうするだろうか」ということを自分で考えなければならなかったが、今はAIがある程度教えてくれる。

天才的であるかどうかは、「人がやらないことをやる」かどうかで判断できる。それを実現する裏付けとなるのは、独創性である。

伝記に出てくる天才は、だいたい、大概は落ちこぼれだ、というところからスタートするのである。

ただ実は伝記を注意深く読むとわかるのは、天才と呼ばれる人はただ落ちこぼれるのではなく、「無駄を省く」ように生きた結果、社会の枠にうまくハマることができずに落ちこぼれている。

「退屈を我慢しない」と言い換えてもいい。
エジソンは車掌になるが、走行中暇だったので車掌室を勝手に実験室に改造し、化学実験の薬品に引火して火災を起こす。

エジソンは電信技師になるが、毎回定時連絡を打つだけなのが退屈だったので、定時連絡を打つ機械を勝手に発明し、常に「問題なし」と送るようにして他の実験に没頭していたら、大事故が起きてるのに「問題なし」と打電してしまい、クビになる。当たり前だ。

エジソンは人と違うことをしようとして、結果的に普通の人が普通にこなせることをやることを拒んだ。

今の時代は、むしろエジソンが電信技師をやるなんていう無駄をする必要がなくなる。定時連絡にしろ緊急時の連絡にしろ、人間よりもAIの方がずっと正確に、真面目に、誠実にこなしてくれる。

車掌も電信技師も、当時は立派な仕事だったはずだが、エジソンが車掌や電信技師で満足していたら、世界は偉大な発明王を一人失ったはずだ。

AI以前の世界しか我々は経験していないので、想像するのが難しいのかもしれないが、AI以後の世界は大きく変わる。その「大きく変わる」ことの一つが、知識やスキルの価値が相対的に低くなるということだ。

例えば、英語や中国語を話せることが社会的評価に関係しなくなる。
単に英語が書ける、読めるということは無価値化し(そもそも欧米圏ではとっくに無価値である)、「何を書くか」という中身の方に関心が移行する。言語はなんでも構わなくなる。

数学的知識を「知っていること」は無価値になり、数学的知識を「運用できる」ことだけに価値が移る。

同様に、法的知識を「知っている」ことも無価値になり、法的知識を「運用する」ことだけに価値が生まれる。どのような知識もスキルも大体同じことが当てはまる。例外は法律で定められていることだけだ。つまり、弁護士、税理士、医師、薬剤師は今のところ「人間」でなければならないことになっている。遠からず「法人」も医師や弁護士や薬剤師になれる日が来るだろう。そして多分そっちの方が、大抵の人間よりも、いい医者でありいい薬剤師になるはずなのだ。

反対に、看護師や介護士の仕事は以前として人間であることが求められるだろう。もちろんAIもかなりの部分で活躍すると思うが、結局のところ「優しくしてもらう」というサービスを提供できるのは人間だと思うからである。

全てはコストだけが問題になっていて、ある時点でコストが人件費を下回れば、その仕事は必ず機械によって代替される。

コンピュータを操作するインターフェースの究極系がGUIだと分かったのと同じように、AIを操作するインターフェースの究極系は会話であることがChatGPTのヒットによって証明された。

およそどれだけハイテクから遠ざかっている人であろうと、Alexaを操作することはできる。もうすぐ80歳になるうちの母親だってAlexaを操作できるんだからそれは間違いない。

1960年代にGUIの研究をしていたゼロックスのパロアルト研究所では、GUIの他に会話AIも候補に入っていたという。でも、結局、会話は採用されなかった。当時の技術では会話だけでコンピュータを操作するというのが難しすぎたのである。

今はもうそんなことはない。
AIをみんなが当たり前のように使う時、「他の人より自分にお金を払ってくれ」と主張できるのは独創性と人の心を思いやる真心を持つ人物だけになる。

独創性と真心という、これまでの日本の教育システムや給与体系では決して顧みられて来なかった能力が、一億総天才時代のサービスに優劣をつける唯一の指標となる。

一億総起業時代と言ってもいい。
自分の私心を殺して誰かのために人生の貴重な時間を捧げる日々はもう強制的に終わっていく。

例えば、AIが普通の人間の社員くらい働けるとしよう。
その単価は、普通の人間を雇うよりもずっと安い。

ある仕事Xの売り上げRが、その仕事をこなすために必要な費用Aを上回るとき、利潤Pが得られる。利潤PがAの二倍を上回る場合、AI社員はPが十分少なくなるまで無制限に増やすことができる。

企業の成長を律速する不安定要素は、実は人間の従業員を雇うことである。
人間の従業員はAIの従業員に比べて以下のような欠点がある

  • 募集した時にすぐに集められるとは限らない

  • 給与を変動させるのが難しい

  • 最低賃金がある

  • トレーニングするのが難しい

  • 能力の見極めが難しい

  • 会社側で従業員が仕事を通して成長できるように配慮する必要がある

  • 病欠、有給休暇などがある

  • 人間関係で問題を起こしたり起こされたりするリスクがある

  • 犯罪行為、利益相反行為を行うリスクがある

  • いつ退職するかわからない(職業選択の自由があるため)

特にベンチャー企業が困るのは人材獲得だ。
そもそもベンチャー企業がベンチャーキャピタリストから資金調達する際に最も大きな理由として挙げられるのが「人件費」及び「求人費」だ。
もしも人間の従業員を限りなくゼロにでき、AIを従業員の代わりに使うことができるのであれば、その会社は確実に成長し、高い収益性を出すことが期待できる。

したがって、従業員を増やすよりも、AIに従業員がやってきた仕事を代替させる会社の方が成長性が高い。

例えば1億円あるとして、1億円を元手に1年間雇える年収500万円の社員は高々10人くらいだ(だいたい、社員一人あたり二倍の経費がかかる)。

しかし、1億円の半分の5000万円でAI社員を開発することができるのであれば、AI社員は必要に応じて増やしたり減らしたりできるので、もっと大きなリソースを投入できる。人間の社員10人分、100人分の仕事をするようなAI社員を開発することは、経済合理性が高い。

自分の会社の話だと思って聞くと嫌な話だと思うが、例えば市役所の職員の半分をAI職員にすれば、税金はもっと安くできる。コンビニ本部や食品加工工場の社員だとすればコンビニ弁当は今の半額になる。

まあそうはうまくはいかないというか、「社員を半分に減らす」なんてことを掲げた会社からは優秀な人から抜けていくだろうし、「職員を半分に減らす」という公約を掲げた市長候補は職員とその家族の票を失うだろう。

しかし、これから新規に立ち上げる会社が、社員を極力雇わずAIで業務の大半を自動化する、ということは十分可能だしリアリティのある話だ。

んで、ここまで読んでも「そんなバカな」と思う人はいるだろう。
逆にいうと、僕はAIが代替できない仕事をなかなか思いつくことができない。

例えば会社を作る時にはよく法務局にお世話になっているのだが、法務局の窓口の職員の方々は、非常に丁寧に書類の不備などを教えてくださる。

でも多分、AIがあれば、同じように不備を修正してくれると思うし、最終的に人間のチェックが必要だとしても、今の半分の人数でいいのではないかという気がする。なぜなら窓口の方はだいたい「書類の不備」を指摘することに時間を取られているからだ(僕の書類が不備だらけという話ではない。窓口で座って他の人の応対を観察していても、主に不備の確認と不備の指摘に時間を取られている)。

そのチェックも現地で現物を見てやる必要がなく、おそらくリモートで複数の法務局の書類のチェックができるはずだ。たとえ人間がやるにしても。そうすれば法務局の職員は1/3程度に減らすことができるだろう。

もっというと、オンライン化されるとそもそも法務局まで出かけて行ったり、順番待ちしたりといった余計な手間は掛からなくなる(経営者としての過去の自分を振り返ると、そんなことをさせるために従業員に給料を払っていたと思うと馬鹿馬鹿しい)。

まあ実際オンライン化はしているみたいだが、色々な事情があって結局法務局に行くのが早いというのが今の状況である。

また、住民票とかはコンビニに取れるようになったので、市役所の窓口業務は確実に減っているはずだ。

そもそも、「こんな少ない人数でこんなに稼げるのか」ということは人類史上過去に何度も起きている。

そのほとんどはごく少人数のスタートアップが、スマッシュヒットを飛ばした時であり、大企業が新製品をヒットさせた時ではない。

人数が多くても、いいものが生まれるわけでもなければ儲かるわけでもないのだが、人数が増えると、確率論的に「何かすごいことを思いつく」人も増える可能性があるというだけで、成功した会社に群がってくるほとんどの人は、「誰かの成功にあやかりたいだけ」の中身のない人である。AI以後の時代には、こういう人たちの仕事は真っ先になくなるだろう。

シリコンバレーの会社がそれほど不景気になっているわけでもないのに我先にと大規模なリストラをしている理由は、「AIによってほとんどの仕事が代替される時代に付加価値を出せない人は不要である」ことにいち早く気付いたからだろう。

そう考えると日本の大企業も今すぐにでも大規模なリストラをするべきだし、手厚い退職パッケージを用意してあげて、会社を辞めた社員が自分自身の付加価値を生み出し、付加価値の高いスタートアップを作ることができるように応援してあげるべきだろう。まあ完全なリストラは可哀想だということであれば、社内起業を選択できるようにしてあげてもいい。退職金を出資することを条件に、CVCからも20%未満だけ投資してあげて(退職パッケージだと考えれば安いものだ)、自立支援をする。

うまくいけば自社とのシナジーも出せるし、うまくいかなくてもピボットを提案したり、他の退職者が作ったスタートアップに合流する選択肢も取れる。

そうしたリストラを断行すると同時に、それまで人間が惰性でやっていた業務をAI化し、利益率を上げることに注力する。

これからスタートアップを作る人は、とにかくできるだけ社員を雇わずオフィスも持たない。その上でAIにできるだけ業務を集中する。

これがAI以後の会社のあり方になるだろう。