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自転車道の入り口に立った

電車は接触が多いから危険だ。

できるだけ避けたい、と思うと自然に自転車になるのだが、僕は長らくレンタルの電動自転車「ちよくる(千代田区の場合)」を愛用していた。なんせ自分で充電する手間がないし借りたい時にすぐ借りられる・・・と思っていたのだが、最近この赤チャリの便利さが広まってしまい、借りたい時にすぐ借りられる・・・とは限らない事がしばしば増えてきた。

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そこで「自転車欲しいなー」とFacebookで呟くと、わらわらとチャリ好きおじさんが集まってきて、あーだこーだ言うのであーここは年に一回くらいしか会わない樋口真嗣さんの言うことでもたまには聞いておくか、と思って、樋口さんの提案でヨーロッパ製の電動自転車に試乗しにいくことにした。

実際に乗ってみたその電動自転車は、想像よりもデカくて、そして何より重かった。

一通り試乗した後、樋口さんはこう言った。

「軽快でしょ。でもそれは偽りの軽快さなのよ。もう一軒試乗にいこう」

というわけで、そのまま別の自転車店へ

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ここではいくつかの自転車を試乗したが、乗ってみてわかったのは、「モーターなどいらん」ということだった。そして平地では、赤チャリよりもよほど軽快に動くのである。

ただ、この時はまだ自転車のなんたるかが腹落ちしていなくて、「こんな金属の塊に20万円も払うのか・・・」という気分ではあった。

開けて翌日、よく考えたら僕は別にいい自転車が欲しいんじゃなくて、とにかくちょっとした場所に出かけられる自転車が欲しいのだ、ということを改めて思い出し、有名な大手量販店に適当な自転車を買いに行った。

遠くから樋口真嗣の「バーカバーカ」という罵声が聞こえてきたが、俺に必要なのは日常の足となる自転車よ。そんなブルジョアジーの趣味とは違うぜ、という気持ちで大手量販店に行った。

免許証のコピーを取ってもらい、誓約書にサインとかをして、やっと対面した折り畳み自転車は、10キロを切る軽量車でありながら価格は手頃だった。

さて、乗ってみるとこれは実に普通だった。

「普通だ」

と声に出た。

その辺を一回りして、すぐに試乗車を返しに行った。

「あれ、もういいんですか?」

「はい」

この時わかった。
僕はもう普通に戻れなくなっていたのだ。

するとまた樋口真嗣からメッセージが入った。

「バーディはないのか?」

そのお店では取り扱っていなかったので、ちょっと離れた場所へ赤チャリで向かった。

予約もなんもしないで行って「バーディに乗ってみたいんですけど」と言ったら、「はい、どうぞ」と一台の自転車をポンと渡された。

免許証も誓約書もなし。ちょっと不用心じゃないかなと思いながら、いざ乗ってみる。

やや高めのサドルから、やや前傾姿勢で乗ってみる。もちろんそんなに飛ばさない。もともとそんなに飛ばすつもりがない。

どこまでも走っていけそうな感覚。
ふにゃふにゃするところがどこにもない。

いい自転車だ。独特の剛性感と、クランクとタイヤの設置感。腰とハンドルに伝わる路面のインフォメーション。まるでBMWだ。E36ベースのロードスターに乗っていた時を思い出した。

学生時代、中古でE36のロードスターを買ってしまって以来、僕は普通の車に乗れなくなってしまったのだ。あれは特別な車だ。見た目ではわからないし、説明することもできない。6速MTで左ハンドル。免許取り立ての人間が買う車ではない。重いクラッチ、ピーキーなエンジン。納車された日の夜はあまりに運転が難しくて買ったことを激しく後悔した。そもそも僕はホンダのビートが欲しくて免許を取ったのだ、ビートは積載量が少ないからマツダのロードスターにしようと途中から考えが変わった。そして恵比寿の日の丸自動車学校に通う途中で、それまで全然カッコいいと思ったことのなかったキドニーグリルの車を見た。それがなんだか、信じられないくらいかっこよく見えて、ボーナスも出たから新丸子の中古車屋でそいつを買ってしまった。それがこんなに乗りにくいとは。

しかし後悔はすぐに杞憂に変わった。クセさえ掴んで仕舞えば、どこまでも乗れるし踏める。最高の相棒だった。

この自転車にも、そんなニュアンスがある。
クセは強くないのだが、まだ何か秘めてる。それを使いこなせないのは、まだ自分に足りないものがあるのだという感覚。

バイクフライデーにも、同じような感覚があった。しかしそれはもっとハンドメイドなビルドアップに近く、自転車をろくに知らない自分からしたら、まだ遠くて複雑に見える世界だった。

ところがこのバーディは、色も形も、何よりペダルを踏み込んだ時の剛性も、自分にしっくりきた。

「これだな」

と思った。

自動車でもカメラでも、一つ上を知ってしまうと、戻れなくなる。というよりも、価値を適正に見積もる事ができるようになる。

レンズならカールツァイス、自動車ならバイエルン、といったように、自分なりの価値観があって、どれも最初は馬鹿にしていた。値段なりの価値があるのか自分には理解できなかった時は、もっと安い国産メーカーのレンズでいいし、車だって国産がいいと思っていた。今でもカメラの初心者にカールツァイスを勧めたりはしないし、車は日本車が一番いいと思っている。

いいかどうかと、好きかどうかは違うのだ。
その違いに価値を見出せるかそうでもないか。写真ならまだ人に見せる事ができるが、自動車の乗り味についてはもう説明のしようがない。

ところが、一度その少しクセのある世界に取り込まれてしまうと、逃れられなくなるのである。別にドイツにものすごい憧れがあるわけではない。ドイツパンやプレッツェルは好きだが。

「悪魔め」

試乗車に乗りながらつぶやいた。

イタリア製の電気自転車を勧めた時から、樋口真嗣の仕掛けは始まっていたわけだ。電気自転車という要求を一旦は受け入れ、最先端のハイテク満載の自転車の後で、ローテクの塊であるアメリカ製ハンドメイド自転車の試乗、そして最後にこれである。

「これ下さい」

試乗車を返すと同時にそう言っていた。

諸々、組み立てと調整で2週間かかると説明を受けた。何よりこのお店は店員さんの表情がいい。

なんの面識もない飛び込みの客に試乗車をポンと貸し出すホスピタリティ。
もちろんリスクはあるだろうが、それよりもまず先に客を信用しようという態度に惚れた。自転車というのは買った店に紐づいてメンテなり改造なりをしていくので、これから付き合っていくならこういうお店がいい、と思った。

「買ったよ」

樋口真嗣にそうメッセージを打ってから、birdyについて調べてみる。

birdyを設計したのはマーカス・リーズとハイコ・ミュラー。 彼らが出会ったのはダルムシュタット工科大学。

やられた、またドイツだ。