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コンピュータは難しすぎる

コンピュータは非常に便利なのだが、ほとんどのコンピュータユーザーがその能力の1%も使えてないのではないか。そんな気がするのだ。

というか、コンピュータの能力が人類の進歩に比べて上がり過ぎてる。
おかげでゲームもAIもビデオ編集も手軽になった。

MacBookの新しいCPUが発表されたのだが、40%高速化したというニューラルエンジンを一体全体何に使えばいいのか、人工知能の研究者である吾輩にもわからないので、これを使いこなすことができる人は将来登場するのだろうか。

コンピュータの能力を真に最大限引き出すには、残念ながらプログラマーになるしかない。しかも、マシン語レベルの最適化ができるプログラマーである。

プログラムさえ丁寧につくればコンピュータの持つ潜在能力は圧倒的に高い。だがコンピュータに比べて人間は頭が悪すぎる。

結局のところ、道具がどれだけ進歩しても使う側の人間の想像力が追いつかないと全く使いこなすことができないのである。

ここ21世紀に入ってから、CPUの使われ方は大きく変化して、人力でパフォーマンスを引き出す時代は終わったと言われている。でもそんなわけがない。誰かが効率的にコンピュータを動かす方法を考えているのである。それがOSの深いレベルに組み込まれて、我々無知蒙昧なプログラマーもどきはくちをパクパクさせてその偉大な恩恵を受け、本来の潜在能力の1%くらいの用途、たとえばソリテアとかマインスイーパーとか荒野行動とかをやるのである。

その誰かが誰なのか知らないが、少なくともその人はプログラマーであるはずだ。ゆえに、コンピュータの性能を最大限に引き出すにはプログラマーでなければならないのである。

今のOSとCPUが複雑すぎるのは、コンピュータの使い道を頑張って考えた結果である。

たとえば吾輩は最近、M1 MacBookにドックをつけて外部の4Kディスプレイに接続して運用することにした。初代M1だからもう三年前。ヒープメモリは16GBしかない。でも全くおどろくべきことに、驚くほど快適なのだ。なにがあった、というくらい快適なのである。たかが4Kディスプレイにつないだだけで!

広大な画面は遠慮なくSublimeTextを広げられるし、Terminalを複数開ける。さくらインターネットさんの高火力サーバーにも、産総研のAI橋渡しクラウド(ABCI)も、同時に見れるのである。え、おれのノートPCってこんなに高性能だったの?と驚くしかない。

DavinciResolveでYouTubeの編集をしたまま、裏でPhotoShopとIllustratorを走らせてチラシを作り、Keynoteで漫画を書いて、WixでWebを作るということが同時にできる。OMG。ちっぽけな内蔵画面だけ使っていたら、こんなことには永久に気づかなかっただろう。

それじゃあ今度のM2 MAXで96GBのヒープなんてことになったら、いったいなにができるんだ?いらないけど欲しい。欲しいぞ!!!と思ってしまうのである。

これが不思議なことにWindowsだと同じ画面の広さでもっとメモリがたくさんあっても、それほど高性能と感じない。まあWindowsはWindowsで、いろんなメーカーが好き勝手なパーツで組んでもちゃんと動くようにするというウルトラスーパー離れ業をやっているので、見た目が効率的に見えないのは仕方ない部分もある。

Ubuntuはどうか。
Ubuntuのほうが同じ画面の広さでもそれなりに使いやすい。
最近のWindowsはUbuntuが走るのだが、当然ながらUbuntuネイティブと比べるとだいぶ見劣りしてしまう。メインで使っているWindowsマシンがそろそろいい加減ポンコツなので、ガレリアの3080搭載ノートのディスプレイも外付けにして使った方がもしかして快適かもしれない。

要は何を思ったのかと言うと、M2 Maxを使いこなすことは到底できなそうだということだ。一方で、今ヒープが256GBでストレージが20TBくらいのサーバーを作ろうとしていて、GPUはA6000が二基で、これはまあ使いこなせそうだと思っている。なんでかっていうと、このシステムでは僕がプログラマーだからだ。マルチタスクに何が入っていようが、僕は自分のシステムをほとんど完璧に把握して使いこなすことができる。限界まで性能を出せるだろう。

まったくこの説は、僕しか唱えているのを聞いたことがないが、なぜアメリカ、がコンピュータ革命の中心地になったのか。

コンピュータそのものの発明をした人は、そもそもイギリス人だし市販されたのはドイツが最初だ。なぜにヨーロッパではなくアメリカ合衆国だったのかというと、朝鮮戦争に原因がある。

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