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【フォーム・スケール・アナロジー】Day1

去る2月16日の夕方、東工大塩崎太伸研究室にてワークショップ「フォーム・スケール・アナロジー」Day1を開催しました。

このWSは私と塩崎研究室の杉崎さんとの共同オーガナイズで企画しています。企画の趣旨はポスターにある通り、

個人的な興味関心から出発し、「フォーム」「スケール」「アナロジー」というテーマを念頭に置きながら、他者と共有可能なモデルとしてのドローイングを発見する。

としました。ちょっと不案内な趣旨ですので、少しこの企画の背景について説明しながら、WS初日のレポートをしてみようと思います。

あるドローイングの共通点

遡ってみると、企画者の2人が過去に各々作成していたドローイングが似ているのでは、というのが企画のスタートでした。
自分のドローイングは卒業設計の時に描いたものです。

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- ある島の可能性 -

ここで自分が試みているのは、以下のような手法です。

・前景に大地の【断面図】と設計物の【立面図】を配置すること
・後景に敷地周辺の【平面図】を配置すること
・中景に海と空(あるいは地球と宇宙)を極座標状に、しかしあくまで平面状に配置すること
・雨や煙といった自然現象や添景がそれらをつなぎ合わせるようにちりばめること

こうして建築設計の際に描かれる基本図をコラージュし、一枚のドローイングとすることで、このプロポーザルの多面性を顕在化させたかったのだと思います。

自分のドローイングがロットリング・ペンを用いた線画である一方で、杉崎さんの卒業設計のためのドローイングは複数のイメージを重ね合わせているという意味でより一般的な意味でのコラージュに近いかもしれません。

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- 類推的建築 -

ここでは、

・後景に【地形】と【地図】を配置すること
・前景に鉄塔や標識など、バナールな風景の【立面図】を遠近法状に配置すること
・中景に設計物や参照物の【アクソメ図】を配置すること
・最背面に宇宙や月といった、身体的な距離を極端に超えるものを配置すること

こうした手法を用いることで、自分の設計物を現代の風景や過去のもの、さらには純粋なかたちといったものとの関係性の中に位置付けようとしています。

建築表現のジレンマ

これは建築にまつわる展覧会を語る際によく指摘されることですが、建築は「動かせない」ので、敷地を離れた場所で展示をする際には図面、写真、模型といった媒体を通じて伝えることになります。実現された建築を間接的に表現しなければいけない。ここに建築表現の1つ目の捻れがあります。

参考資料 - 建築のドローイング展にまつわる批評

さらに2つ目の捻れとして、実現されていない建築プロジェクトはどのように表現されるべきなのか、という問題もあるように感じます。ここで言う「実現されていない」というのは、構想段階のものと、計画が頓挫したものの、大きく2種類あるのではと思っています。

参考資料 - 完成に至らなかった建築を紹介する展覧会

私たちが作成したドローイングも卒業設計の際に描かれたものなので、建築は実現されていない、構想段階のものです。となると、図面、写真、模型といった媒体は完成物のリプレゼンテーションである以前に、媒体それ自体が完成物でもある、ということが おこります。
おそらく、建築表現を用いながら、コラージュを通じてこれまでにない表現を模索したドローイングには、それ自体が完成物、という意識が共通していました。それに加えてドローイングのなかにもいくつかの共通点を見出しました。

フォーム - 純粋なもののかたち
スケール - 伸縮可能なかたちのおおきさ
アナロジー - かたちとかたちをつなぎあわせること

そしてこれが本WSのテーマとなりました。

ステートメントとして、noteの記事にもしてあります。

建築におけるアナロジー

アナロジー(類推)という言葉に馴染みがない方もいるかもしれません。ただアナロジーのことを建築において考えるとき、避けては通れない建築家のプロジェクトがいくつか頭に浮かびますので、紹介しておきます。

1つ目はアルド・ロッシの「類推的都市」というコラージュです。

原画

- 類推的都市 -

ロッシが提案する建築やドローイング作品は、それが実在するところの都市や自然環境を考慮するのみならず、ロッシの内面において想起された都市の歴史や場所の風景、さらには個人的な記憶に基づいて構想されています。そしてそれは他者に対しても類推的思考を伴って働きかけるようなものです。
『アルド・ロッシ自伝』(1984)の中で引用されているヴァルター・ベンヤミンの言葉に、

「それゆえ、ここで私を取り巻いているものすべてとの関わり合いから、私の姿は崩れていく。」

というものがあります。この言葉が示すように、時代や場所が異なった要素が混ざり合ったこの作品のコラージュという手法は、事物同士が関係しあうことによって、事物それ自体を超え、常に新しい意味を生み出しているといえそうです。

逆に言えば、このような関係性を実現するために、コラージュという手法を用いて自分の作品をその中に位置付けようとしていたと考えられます。
そのような類推的枠組みの中で体系的に形成されてゆく都市、そして時代や地域により異なった解釈を生む、常に未完でありゆらぎをもつ都市を「類推的都市」といい、ロッシはこのコラージュ作品に描こうとしたのではないでしょうか。

2つ目はオズワルド・マティアス・ウンガースの「モルフォロギー:シティ・メタファーズ」という書物です。

翻訳したものをnoteの記事にしてあります。walter könig booksから出版されているものも美しいので、ぜひ手にとってみてください。

Day1 「イントロダクション」

さて、寄り道がすぎました。。
こんな不案内な企画にもかかわらず、当日は15名ほどの参加者から、20枚ほどのイメージが集まりました。

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今回の「イントロダクション」では、参加者に事前に以下のことをお願いしていました。

・2枚のイメージを選ぶこと
・その2枚のイメージを重ね合わせること

集められたイメージを机上に、まずは今回の企画について、杉崎と寺田から簡単なイントロダクションを行いました。

・ワークショップからリプレゼンテーションの流れ

・企画の出発点と先人たち
(ウンガース・バルデッサリ・フラマー・ロッシ・驚異の部屋)

・イメージを重ね合わせる時の参照点
(ドイバー・ゲストとして予定している二人のグラフィックデザイナー)

・建築史におけるグラフィックと建築の関係
(理想都市・理想の身体・マレーヴィチ・モンドリアン・ドゥーズブルグ・リシツキー・アルバース・ヘイダック)

・建築を超えたスケールの話
(ノッリ・ゲデス・カッチャーリ・アルプ)

その後、塩崎さんから、ムーアの「ディメンション」の話、塩崎さんと共同で建築記述研究会(『述ら本01─Whole Utopia Catalog 特集:ユートピア』『述ら本02─特集:シャーマン』を出版)を主催している中村さんからSDの「フォルマリズム・リアリズム・コンテクチャリズム特集」の話を伺った後に、参加者に自己紹介と持参したイメージの説明をお願いしました。

建築作品を扱ったものから、非常にパーソナルな写真を二枚重ねたもの、絵画に着目したものや生物学の概念を援用したものまで、多種多様なイメージを下敷きに議論したことは主に「コラージュという手法は何か」ということでした。

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マックス・エルンスト『百頭女』

たとえばもっとも話題にあがったイメージは、パルテノン神殿の【平面図】の横に、オードブルのブルスケッタの【写真】を並べたもの。
このイメージを作成した参加者はワークショップの直前までどのようなイメージがこのWSにふさわしいのか悩み続け、自分のiPhoneで撮影した写真を見返しているときに、このブルスケッタのイメージを見つけ、急遽パルテノン神殿を連想し、並べてみたとのこと。
この、ほぼ無作為のなかにあらわれた二枚のイメージの重なり合いは、参加者全員の想像を喚起させ、色々な解釈がなされました。これぞまさにアナロジーのなせる作用だと思うと同時に、イメージを作成した本人の意図が希薄であるがゆえにそれが実現されているのであり、本人の興味関心や主観性がそこにあまり反映されていないことについても、議論をうみました。

今後のスケジュール

さて、予定していた3/14のDay2「リプレゼンテーション」ですが、新型肺炎の影響があり、一旦中止・延期とさせていただきました。
現在、テレ-ワークショップの可能性なども模索しながら、週ごとに課題をもうけながらオンライン上でコラージュのブラッシュアップを進めています。

週ごとの課題は以下の通りです。

Week1 - あなたのコラージュの参考になるレファレンス(アンセスター)を教えてください
Week2 - 文章を読む(八束はじめ「表象の海に建築を浮かべよ」/ヘイダック「時間から空間へ」)
Week3,4 - 参加者それぞれのキーワードに関わる画像集め
Week5 - コラージュのブラッシュアップ/意見交換

過去のコラージュの事例を調べつつ、個々人の興味関心から選びとられたという必然性があるかどうか、来たるべきDay2のリプレゼンテーションの日までブラッシュアップしていくことになっております。

関連企画も準備しながら、参加者も広く募っていきたいと思っていますので、引き続き、ご注目いただければと思います!

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