アプデに真摯な三浦大知という存在について〜新曲「Yours」コレオビデオ公開に寄せて〜
周りが元気になる変態って、いるんだねぇ。
約7ヶ月ぶりの新曲「Yours」のコレオビデオが公開された。
「三浦大知の魅力はダンスとボーカルの高度な両立」というのは、もはや耳にタコが出来る位聞いた切り口である。私が魅力に感じているのは、モテるためのダンスとは縁遠そうな表現者として純度の高い態度と、自身のルックスが生み出すゴリッとした骨太さ。
アーティストとファンとの世界観の共有というのは自動的・無意識的に行われている。人柄や歌詞のメンヘラ度とか、ビジュアル性とか、そういうの。直感的な部分なので、一回好きなら好きでい続けてくれることが多い。
だがファンはアーティストに対して甘いようで厳しい。リリースされた全曲(本当に、全曲)を欠かさず聴いているだけでなくそれらを体系的に認識しているから、アーティストの表現の手の内は大抵把握している。このお腹いっぱいな状態で「まだ?」と次のプレートを待っている、これがファンの姿。
三浦大知で言えば「あぁ、それはウン年前からよく見る振付ね」とか「聴いたことあるフェイクだ」とか。実際、ある。流石に毎回毎回キャラが変わったかのような新曲を出されたらこちらも混乱するし「え〜、私の好きな前回のテイストは…」とがっかりするので、ある程度は世界観が同じであって欲しい。
問題はその割合。「世界観の維持:新要素」を何対何で構成するのか。残酷なくらい、そこにはアーティストの態度が表れる。
アーティストは忙しい。「ミュージシャンは年中働くもんじゃねぇよ」という先人たちのイメージがそれを曖昧にしているが、コンスタントに自分を表現し形にし大人達の稟議を通しリリースするという武者修行は、一般人にはまず無理だろう。だってそんなに非日常な事って起きないし。毎日晩ご飯のことを考えているうちは、表現への渇望なんて湧きっこない。
そしてアーティストも人間なので私達と同じように平凡な日常を生きている。その日常に、毎年新曲リリースがあり、音楽番組やフェスにも出演し、ライブ動員数も右肩上がりの安定感が加わったらどうか。それだけでなく、ある程度天井に達したスキルも加わったら?
そんなアーティストを沢山見てきた。しかし三浦大知は、日常という濁流の中でも流されず粛々と何かに掴まり続けている印象がある。
ファンになってから新曲がリリースされる度、違和感があった。「おお!新しいな」「斬新!」「いいね!バキバキ!」…あれ?少しとはいえ毎回新鮮さがある。普通は新鮮さなんて失われていくはずじゃ。もしかして。
恐る恐るここに書くが、おそらく新曲の度に新要素が律義に組み込まれている。新要素の追加なんてそう簡単なことではないのに。というか、このリリース間隔じゃほぼ無理。新要素だけでいいならいくらでもアイデアはあるだろうが、世界観の延長線上にあるものを拾おうとするとかなり難易度が上がる。世界観に近すぎてもダメ、遠すぎてもダメ。しかしこの世にはそれが出来ている人がいて、しかも私はその人をうっかり応援してしまっているらしい。自分がひっくり返っても出来ないことをクールにやってのける人がいる。恐ろしいことなので気付きたくない。
Youtubeやブルーレイは擦り切れないが、それでも擦り切れる位に、過去のパフォーマンスの映像や音源を感じてきた。ありとあらゆる手の内を理解している。なのに、それでも「新しい」。バイタリティ溢れるその姿勢は表現者としての高い純度と瑞々しさを感じ、グッときてまた見直してしまう。
本人は自身のことを「こだわりの強い人」とよく言っているが、こう何年もこだわりの継続を見せられたらそれはもう相当仕上がった変態なんだろう。こんな美しい変態には保護欲が湧く。またファンクラブに課金します(ウン年目)。
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