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2406世情

新緑の季節はとうにすぎ、信号待ちで自転車を止めると道端に紫陽花が咲いていた。
少し前まで、いつも通りの隅田川の桜と写真を撮っていたはずなのに、子供たちが進級し、建物の壁に落ちる新緑の木陰の美しさを見とれ、下町の各所で神輿の声が聞こえ出し、奥さんの誕生日を祝えば、もう梅雨である。

5月は一年で一番気候が良く、心地いい季節だと思う。
ゆえにこの季節の経過はとても早く、冬から春、夏へは風のように通り抜ける。
この時期は橋を渡る瞬間に心が躍るような気持ちにさせてくれる。
春になると芽生える何かを始めたくなる気持ちも落ち着いてきて、少し俯瞰的に見れる時期。仕事に忙殺され、何か物足りなさを感じる時にしか書けないこの性分もなんとかならないものだろうか。

コロナ禍が開けたと思えば、待っていたのは円安と物価高で、海外に行きづらい、物が手に入りずらい世情。オリンピックを無観客にしたのに神は日本にどれほどの試練を与えるのだろう。
VUCAな時代とはよく言ったもので、今日も家から一歩出れば、日本人より多い外国人が歩いている。どこを歩いていてもosmoやGoproを向けられている感覚にすらなり、違反まみれの電動キックボードやモペットが我が者顔で走り回るディストピアのような東京はもはやコロナ禍の方がマシだったように思ってしまう時もある。果たしてこれは進化なのか疑問符しか浮かばない世界。
ネットをひらけば、デザイナーのべき論、webサイトのアニメーション不要論、AIの脅威、モッシュダイブ論争、投資と金の話、知らん奴らのゴシップと知らん奴の謝罪、間合いを詰めた動画にこれでもかとメリットを殴り書きする縦動画。

うんざりだ。

こんな未来は誰が望んだのか知らないけど、先の未来はもっと想像できない。

終わらないものはないが、変わらないものは果たしてあるのか

永遠に繰り返すであろうあのワンバースを思い出す。

それでも自分を信じて前向いてやっていくしかないんだよな。
と諦めそうになりながらも8歳と3歳の寝顔を見ながらPSBを胃に流し込み、朝が来れば珈琲をマグカップに注ぎ机に向かう。
このblogにオチはない。
なんとなく考えたことを叩きつける。
そんなblogがあってもいいと思う。

腱鞘炎で右手が痛いせいでまたこんなことを書いている。
マジックマウスに変わるマウスが永遠に見つからない。

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