あらかじめ約束されたお笑い周縁の女性たちへ

プロミシング・ヤング・ウーマンという映画を観て、嗚咽するくらいに感動したその勢いでがたがたと震える指でこの文を打ち込んでいる。
私のことを知っている人も、覚えている人もほとんどいないと思うので自己紹介をさせていただくと、私は2018年頃から2年ほど東京の地下ライブシーンでお笑い芸人をしていた女である。
 
今日は、あるライブである芸人Aに名指しで舞台上で言われた「自分が過去にセックスした女が芸人になっていた。」という発言の前後にあったことや、その発言がわたしの芸人活動に与えた影響、その頃から今に至る心情などについて振り返りたいと思います。
 
まず、なぜAとセックスしたのかということですが、それを語るには“そもそも私はなぜ芸人にならなくてはいけなかったのか?”ということから語らなくてはいけないと思います。
 
わたしは関西に住む、お笑いが大好きな少女でした。
小6のときにテレビでダイナマイト関西を見て新喜劇以外のお笑いを知り、あまりのかっこよさに衝撃を受けました。
そこからbaseよしもとの存在を知り、めくるめく多様な漫才・コントにふれ、中高大と劇場に通いまくる日々でした。
特に好きだったのは極悪連合さんで、とりわけウルフさんのブログ(ウルフ日鬼(にっき)・ウルフ雑鬼(ざっき))のファンでした。
ウルフさんのブログは、周囲の芸人やバイト先の人とのやりとりの描写がなんとも軽快で楽しそうで、また、当時の劇場の雰囲気を多分に感じさせてくれる記号のてんこ盛り(ワッハ上方やサライヴWAR、構成作家の“壮快さん”やキタイ花んなど)で、まるで劇場を舞台とした一種の群像小説を読んでいるかのような気分でした。今思えばこれで芸人という職業へのあこがれを募らせたのだと思います。
 
だけどしばらくしてbaseよしもとは無くなりました。極悪連合さんはトリオ名を改名し、そして解散されました。私はこのころには劇場に通うことは無くなっていました。
大学を卒業して東京に行きました。そこで、どうしてもやりたくてたまらない男性に出会ってしまいました。私は、その男性とどうしてもやりたかったのです。
 
上の文を読んで、一瞬なにか思うことがありましたか?
「女性が”やりたくてたまらない”なんて言うのはおかしい」と思いましたか?そういう人は、女性が素直に性欲と向き合っていることが不思議なんでしょうか。じゃあ、この後の話も「不思議なこと言ってるなぁ」くらいの気持ちで聞いてください。
 
やりたかった男性をBくんとします。彼はバンドマンでした。そのバンドは客との距離が近く、しょっちゅう中央線沿線のどこかのレコード屋や古着屋でイベントをやっていました。
彼と付き合えるほど自分におもしろみは無いと分かっていたけど、「やるくらいならいけるかも」という期待はありました。じりじりしながらも、しっかりわきまえてはいたのです。
しかし問題がありました。わたしは処女だったのです。
 
わたしは処女だということに負い目を感じていました。なぜなら、銀杏BOYZとそれに影響を受けたBくんのバンドの音楽や雨宮まみさんの本を通して、それらの価値観を内在化していたからです。
簡単にいうと「童貞(=処女も)のかっこ悪さ」「処女の重さ」「自己犠牲的なセックスへのエモさ」などです。
だから(?)Bくんとやるためにはまず処女を捨てなくてはいけないと思いました。
その時にいたのがAでした。
Aと初めて会ったのもそのバンドが高円寺でやっていた写真展だと思います。
その帰りにセックスにさそわれて、処女を捨てるなら今だ!と思いました。
AはBくんにも「お笑いやってるんですか?ライブ見に行きます!」など言われてたので、まぁどこの馬の骨か分からない人とやるよりはいいか、という気持ちでした。
以上が、わたしがAとセックスした理由です。
 
念願の処女を捨て、それっきりAの顔はもちろん名前すら思い出すことなくBくんに向かって突き進みました。アピールするための土壌はいまや整ったからです。
でも、うまくいきませんでした。結局Bくんとはやれなかったのです。
失意のところ、たまたま友達が大手事務所のお笑いライブに誘ってくれました。
東京のお笑いシーンは全然知らなかったけど、もともとお笑い大好き少女だった過去がありますから、すぐに夢中になりました。傷心だったし、単純に、やっぱりお笑いは楽しいって思いました。
そしてそのうちCくんという芸人がかっこいいと思い、彼にさわりたいと思いました。なんか飄々として、必死じゃないように見えるけどちゃんとおもしろくて不思議な魅力がありました。
彼とはやることができたのですが、なんとなく釈然としないというか、欲求不満な感じが残りました。
その時に初めて自分の本当の欲求は何なのか考えたのだと思います。
 
考えた結果はこうでした。
Cくんの姿かたちが好みであるということはさておき、わたしはCくんそのものよりもCくんが纏う「お笑い」の空気に惹かれていて、というかもうずうっと昔から「お笑い」の空気感に憧れていて、Cくんとやることで「お笑い」の空気感のおこぼれにあずかりたかったのだ、ということでした。
私が本当に欲していたのはCくんではなく「「「お笑い」」」だったのです!
 
ここで、Cくんとやっても自分の抱える根本的な欲求は解決しないな、という結論に達しました。本当の望みを叶えるためには、誰に寄りかかるでもなく「自分自身」がお笑いを「やる」しかないなと思ったわけです。
奇しくも東京のお笑いシーンは掘れば掘るほどDOPEで、小劇場や公民館など毎日昼夜お笑いライブが開催されており、だれでも舞台に上がることができたのです。
わたしは芸人になりました。
 
Aと再会したのは確か下北沢のエントリーライブだったと思います。
なんかソワソワと見てくる人がいるなあと思っていたら、見覚えのある人で、「ゲ!!!!!!」と思いました。
Aと会ったのは一回きりだったし、芸人なのは知っていたけどちゃんと活動しているかさえ知らなかったし、まさかこんな早々に顔を合わせることになるとは、という感じでした。
気まずいけど、特にしゃべる機会も無かったから「よかった、スルーしてくれたんだ…」と安堵しました。武士の情けというのでしょうか、そういう心がある人なんだ、よかった…と思いました。その時は。
 
お笑いは本当に楽しくて、ネタをまじめに考えて舞台に立つことはセックスの何万倍も充実感がありました。大げさじゃなく自分は社会の一員になった、そんな気分でした。
初めて世界の仲間に入れてもらった感じです。
で、私は最初コンビを組んでいたんですけど途中でもっと奇天烈なネタがやりたくなり、ピン芸人に転向しました。
 
その頃にある芸人仲間から電話がきました。
「@@というトークライブがあるんですけど、そこでAっていう芸人が林田さんとセックスしたことがあるって前回話してて…もしよかったら今度XXがまたあるんですけど林田さんも出ませんか。Aもいるんですけど共演しませんか(笑)」ということでした。
@@というライブの名前は伏せますが、端的にいうとNGなしの暴露系トークライブのようなコンセプトでした。
「A、   やっぱり気づいてたんだ…」と思いました。そして「言ったんだ」と。
Aとセックスしたこと自体は同意の行為でしたが、名指しでそれを暴露されることはまったく想定外でしたし、言わないでほしかった。私が欲望に向き合って誠実にやってきたお笑いの邪魔をされた、と思いました。
ここで芸人として私がとれる行動はライブを断って黙殺するか、ライブに出てネタにするか、のどちらかでした。
私は後者を選びました。
Aのせいで誘ってもらったライブを断って日陰で後ろ指をさされながら活動していくのは嫌だと思いました。
断るのも、黙殺するのもいやだし、まじめに怒るのももっといやだった。
「いやいや、お笑いやん」「実際セックスしてるんだよね?」「ムキになるなよ」
そして、「だから女ってサムいねん。」
そう思われるくらいなら、自ら開けっぴろげに話して笑われる方がよかったのです。
 
ライブに出て、やっぱり出なかったら良かったなぁと思いました。同時にうまく立ち回れなかった自分を責めました。
お笑いにするには難しい題材だし、お客さんからも他の演者からも引かれるのを感じましたし…。
出演にあたってAには「こんなことなってごめんな!でもお互い頑張っていこうやよろしく!」みたいなさっぱりとしたやり取りを期待していたのですが、相変わらずソワソワと避けられるような変な感じでした。
おまけに楽屋で別の男芸人と喋っていたらライブの作家に「そこでセックスしたら?」と半笑いで言われました。
こういうことを言われて平気で笑えますか?
はっきり言ってしまいますが、お笑いの名のもとに行われたAによる実名暴露やそれにまつわる関係ない外野からのセクハラ揶揄などは性加害だった、と思います。
 
性に主体的な女はすなわちヤリマンなんですか?ヤリマンの女だったらバカにしていいんですか?
私は男性にはいろんなタイプがいるなぁって実感しました。
“性欲があって、それに対して主体的に向き合ってる女”に対して、
1:バカにして笑う男
2:不愉快だ!って言って顔をゆがめる男
3:怖がる男
4:びっくりしちゃう男
5:その矛先が自分に向けられないことにムカついてる男
6:なぜか「自分もやれるかも」と思ってる男
7:そんな女がいるって知ってるけど、別にどうでもいい男
などがいて、2かつ5とか、4のち7になる人とか内実はグラデーションになっています。
 
3や4はまだマシで、6は1や2がなければただバカなだけで意外と害はなく微笑ましいです、ムカつくけどね。7みたいな人が一番無害なんですけど、ほんとうに稀少です。
害悪なのは1もしくは2で、特にその頃の芸人の世界は多数がこれだった気がします。
だいたい黙っていられないたちで何人かでつるんでデカい態度で攻撃してきたりしますね。かつ5の気もあったらおしまいです。
 
うーん、話がそれてしまいました。
ただ、ライブに出て良かったこともあるんです。
そのライブは私がヤバい女、みたいな雰囲気になっていたのですが、共演していた芸人さんで、ライブ中にぼそっと「Aを殺しましょう。」と言ってくれた芸人さんがいるんです!
それが本当に、今でも覚えているくらいうれしいんです。

私に言うでもなく、独り言のような感じで。きっとお客さんには聞こえていなかったと思いますが、その声の感じも言い方もありがたくてよく覚えています。
その人は男性の芸人さんでしたが、私ですら言えないことを、こうやって言ってくれる人がいるんだ、と思いました。
本当はめちゃくちゃその人の名前を出してありがとうと言いたいけれどその人はかなり独特な?お笑いをやっていて、私が名前を出すことで女の話が通じるいい人、みたいなイメージがついてしまうと逆にノイズになりそうだから言いません。
でも、ありがとうございます!!!!!と思っています。
 
 
話を戻すと、Aはライブ以外にも私のことを言っていたようで、全然知らない初対面の先輩から「Aとやった女芸人だよね?」といきなり言われたりすることもありました。
これも本当に、きつかった。
みんなが知っているんじゃないか、笑われているんじゃないか、みたいなどこにでもAの名前がついて回るような被害妄想が常につきまとうようになりました。
そういう事があって、私のパブリックイメージ(というと大層ですが)とやりたいネタに乖離が生じ、つじつまを合わせるためにわざと露悪的なネタとかふるまいをすすんでやったりして(まじめなんです)、途中からは本当にお笑いが楽しくなかったです。
 
笑われるかもしれないですけど、本当に私はちびまる子ちゃん初期みたいなネタがやりたかったんですよ!でもちびまる子ちゃんはセックスしないじゃないですか。
自分の過去ネタを思い返すと恥ずかしいです。差別的なネタもやったし、どんどんやりたい事と遠のくから、人前に立っているのに見てほしくない、みたいなジレンマが生まれていました。なんであんな事やってたんか。
全員に嫌われてると思ってたから結果、まわりとの壁もより厚くなっていくしね。壁で防御してたのは自分じゃないかっていう説もあるんですけど。
 
Aの件に加えて、別のDという芸人の件もありました。
Dとは一瞬付き合ってたんですけど、「なんか違うな」と思って別れたいと言ったら逆上されて、その人にも実名を出されました。
そのことについては怒ってないです。本当に、やり捨てみたいな形になってしまいましたし…。ひとの気持ちをもてあそんでしまった罰だと思います。
訳が分からなかったのはDの取り巻きの芸人からの糾弾なりからかいであったりです。それもうお前ら関係ないやんっていう。周りのやつを味方にして一緒になって攻撃する時点でDも加害に加担してるわけだからひたすら被害者ヅラすんなよと思いましたけどね。
この女は生意気だから攻撃していい、嫌がらせしていい、お笑いだから!とでも思ってたんでしょうか。最低のミソジニー集団でした。
 
とにかくそのムラの監視社会みたいなゴジャゴジャから一刻も早く抜け出したくて、もう消えたいな~っていう思いで、逃げるように芸人をやめました。
殺される前に自分で殺そうと思って。
だから、挨拶とかもちゃんと出来なくてごめんなさい。
なんか、自分が辞めるっていうことを大々的に伝えて注目を集めるのは不遜なことなんじゃないか?みたいな考えがあったんですよね…。本当に、ノイローゼですよね。
その結果、お世話になった先輩や仲間にもすごく不義理でした。
あらためてごめんなさい。
 
それでもやっぱり、芸人をやってよかった?と聞かれたら、やって良かった!と答えます。
気に入ったネタだって、実はあるんです。
芸人かなり終盤にやってたaikoのネタと金麦のネタは気に入っています。金麦のネタ中に食べるたこ焼きは美味しかったなあ。あれ以上に鮮やかなたこやきの味を、今後の人生で味わうことは無いでしょうね。
ひょっとしたらもう会うこともないかもしれないけれど、日本クレールさんと大陸さんは永遠にマイブラザーだと思っています。日本大陸まわりの人はみんな心が優しいのでスキです。
それに何といっても、ウルフさんとも共演できましたし!(へへ!!!)
楽しいことはちゃんとあったけど、Aの発言やそれにまつわる加害がなければもっと楽しかったかもね、と思うのが残念です。
この怒りはずっと今後の人生で抱えてゆくことになるだろうし、エネルギーにしようと思います。
 
 
わたしは、お笑い自体に未練は全くないんです。
お笑いをやって良かったのは、自分はお笑いには向いていない、という事が知れたことです。
好きなことと、出来ることは違うんです。
 
私が出来ることは何だろうって考えました。
教室で例えると、お笑いをクラス全員の目の前で披露するステージだとすると、そこは自分の居場所ではないと思いました。
教室のすみでこそこそ面白いことをやってる人でもありません。
教室の後ろに壁新聞を作って貼ってる人、これも違います。
 
わたしが出来るのは、見てほしいような見てほしくないような気持ちで、誰も見てないかもしれないけど、でもやっぱり誰かは楽しみに見てくれるはずだ、とまるで祈りのような気持ちでメモを書いて教室のどこかに隠すことだと思うんです。
そして今はその方法が分かってまじめに取り組んでます。ZINEっていうんですけど。
 
自分の個人的なことばかり書くのは傲慢なのでは?と思う気持ちと戦いながら、それでもその小さな気持ちの去来を、分かってくれるはずの誰かに向かって書いてます。
急にすごいことを言いますが、私はうっすらと「もう今後の人生、誰のことも愛さないだろう」という確信のようなものがあります。でも不思議なことに、そう思ったとたんに目にうつる人や風景が愛しく思えてきたんです。いま初めて、だれかや何かと正直に向き合えるような気がしています。そこで見えたものや考えたことについて書きたいと思っています。
いつか誰かに読んでもらえるといいですね。
 
 
お笑いの周りには、お笑いというイデオロギーにそぐわない“性”のせいで、うっすらとバカにされ、そのまま忘れられてしまう女性たちがたくさんいます。
私はその女性たちに、それでも欲望としっかり向き合ってほしいです。
欲望をようく分析した結果、たくさんの芸人と寝たい!と思う人はどんどん寝ていいと思います(病気には気を付けてほしいけれど)。
芸人を本気で好きになってしまったらその気持ちに集中して、恋してしまえばいいと思います。応援します。
ひょっとして私、芸人が好きなんじゃなくってお笑いが好きなのかも!?という方は、芸人をやってみるのはどうですか。私はあなたのネタが見たいです。
 
女芸人もそうで、若くても年を取っててもやりたい事をやっていいです。
ブスだろうが綺麗だろうがセックスしたかったら当たり前のようにしていいし、したくなかったら永遠にしなくていいです。途中でやりたくなったらやったらいいし、やめてもいいです。
可愛くなりたかったらいくら笑われても可愛くなるために努力をしたらいい。ブス街道を邁進したければそのまま突き進んでほしい。
そのとき、そういう“頑張ってる女”の周りの人に言いたいことは、何もしなくていいから「どうか、ほうっておいてくれませんか?」ということです。
男女とか関係なく、みんなが他人に邪魔されることなく、なりたい自分になれたらいいですね。
私も頑張ります。みなさんも頑張ってください。
 
それではみなさん、さようなら ;)

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