あの日のこと
これは、Facebookノートに2014年に記載したものの写しです。
あの日の事の覚え書き
あの時私はパート先の歯科医院に居た。午後の診療が14:30から始まるので最初の患者さんをご案内して診療の準備をしながらその患者さんと話しをしていた。ドクターに準備が出来たことを伝えようとしたそのときに起きた。
ユニット(歯科用診療椅子)を起こし様子をみて患者さんに落ち着くようにずっと話しかけていた。他のスタッフは外に出てご近所の様子をみていた。
なにかのイベントのように余震が来る度にはしゃいでいるかのごとくキャーキャー言っているのが聞こえて違和感を感じていた。
停電になってしまったので診療を続行することは出来ず電話も通じないので事前に予約のキャンセルもままならずそれ以降の来てくださった患者さんへの対応に追われその間に自宅に連絡をとるが通じず
合間に見たTVに映し出される波が押し寄せる様子が
映画のワンシーンのようで
とても現実として受け止めることは出来なかった。
院長から帰宅の許可が下りたのは18時過ぎ
家のことも気が気ではなかったが
母への携帯メールが夕方通じ連絡がかろうじて取れていた。
電車とバスで通勤していたのだがその手段は使えないので
タクシーで帰ろうと職場を出て国道まで行けば何とかなると思っていた。
国道1号線へ出たが歩道はすでに多くの人の行列だった。
国道も車で大渋滞 タクシーどころではないこと
自分も歩いて帰らなければならないことにやっと気づいた。
歩くのだとわかっていれば水を持ってきたのに何も準備していなかった。
これまた安易にコンビニで買おうと思っていた。
コンビニの中は人でいっぱい。あきらめて歩こうとおもった。
通常なら1時間弱でたどり着けるはずなのだが行軍の中で
自分の歩幅で歩くことは出来ず暗い道を知らない人達と肩を並べ歩いた。
家にたどり着いた後のことは覚えていない。
自宅の建物は停電していなかったがエレベータは止まっていた。
6Fの部屋まではどうやら階段を昇ったと思う。(覚えていない)
父はディケアの方がおんぶして部屋まで送り届けてくれた。
と母から後にきいた。
あの日の少し前にFacebook登録をしていたがあの日の記述はなかった
(2014年3月11日 Facebookノートに記載した物の転記)
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