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非装飾自認者の零(01)氏へ_その2

零(01)様
いつもお世話になっております。

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僕が今回、脱コルした元装飾者を批判してるのは、元装飾者という属性ではなく、非装飾者が強い人扱いされたり、僕たち非装飾者の非装飾を無意味なものとされたり、装飾者は非装飾者を踏んでたんだからそれは分かれよって話に「装飾者のことも責められないだろ!」と反論されたりしたから批判している。
ただ、過去の装飾が抑圧を強化していたことや踏んでいた人がいた事実や構造を認識せず、僕ら非装飾者の社会的反発をなかったことにし、それでも連帯や協力を呼び掛けている姿勢に怒りもあるしあきれてもいる。
連帯や協力を呼び掛けるならせめて、自分が今まで装飾してきたことによって女性は装飾をするという性規範を強化し、それによって抑圧を受けていた人間がいることを認識してほしい。僕からすれば、今まで踏んでた人が突然脱コルして、過去の装飾が非装飾者に与えた影響を考慮せずに開き直って「装飾することは仕方なかった」「連帯しよう」と言ってきたところで、「何をいまさら?」としか思えない。装飾者が装飾している間にも(眼中になかっただろうが)非装飾だった人間はこの世に存在していたわけで、その存在を蔑ろにするなと主張している。決して謝ってほしいわけではなく「自分が装飾してたことによってどんな社会的影響を及ぼしていたのか」をしっかり見つめてほしいと言っている。
今現在コロナ禍であり、高卒で就職した者の中には一度もリアル職場に出社する事なく、脱コル理念も知らぬまま、自宅で一切の化粧やスカート等女性ジェンダー装飾義務を放棄した状態で、zoom会議も自分の顔は見せずに仕事をする者も居るだろう

言うなれば、学生時代から会社員になっても継続して非装飾が習慣化していた者が登場し始めている


私は、『非装飾者』という『日本人女性の中でも更にマイノリティの弱者』の方が本当に存在し、今まで踏んでしまっていたのなら申し訳無い。と感じ、自省し、「自分は非装飾者である」と自称していらっしゃった零(01)氏と天源氏のツイートから、非装飾者についての定義や概念をより深く知り、勉強しようと試みました。


零(01)氏は、上述のツイート通り、「大学時代バイトの時に化粧をしていた」そうですね。
きっと職場の服務規定等による、止むに止まれぬ事情でした事でしょう。心中お察し申し上げます。

ところで、私の過去執筆したnoteの通り、

今現在コロナ禍であり、高卒で就職した者の中には一度もリアル職場に出社する事なく、脱コル理念も知らぬまま、自宅で一切の化粧やスカート等女性ジェンダー装飾義務を放棄した状態で、zoom会議も自分の顔は見せずに仕事をする者も居るだろう

と、予測される社会情勢が続いている環境下です。

私の過去執筆したnoteの論に従えば、零(01)氏とこのようなポストコロナ新世代の社会人達との間には

ここに、私の定義を当て嵌めるのなら、「社会的要請が掛からない状態だったので、踏むも踏まれるもなかった」が正解である。

とし、「過去に、より装飾の習慣化をしておらず、非装飾者であった」者に元装飾者とされる「過去により多く装飾をしていた」者謝罪・自省・自覚行動をする必要性は無い
と定義づけることが出来ます。



が、零(01)氏の7/30初出note「ここ数日間の脱コル議論の経緯と個人的意見について」


によると、

ただ、過去の装飾が抑圧を強化していたことや踏んでいた人がいた事実や構造を認識せず、僕ら非装飾者の社会的反発をなかったことにし、それでも連帯や協力を呼び掛けている姿勢に怒りもあるしあきれてもいる。結局脱コルとはなんなのか。現実と構造を否認しているうちは外見が変わっただけで、装飾してた時代と根本的には変わっていないのではないか。どれだけ脱コルしたかで序列が決まるわけではないのであれば、装飾において脱するものがなかった者たちの意見も聞いてくれよ。
自らの行動が社会にどのような影響を与えそれによって踏んでいた人はいないか、構造と現実にしっかり向き合い思考してほしい。

とあるので、この論に従えば、零(01)氏は、ポストコロナの「就職してからリモートワーク続きで全く化粧・女性ジェンダー装飾をしていない」新世代社会人女性達に対し、

非装飾だった人間の存在を蔑ろにはせず、

決して謝るべきではなく、

「自分が装飾してたことによってどんな社会的影響を及ぼしていたのか」をしっかり見つめて、

踏んでいた事実を認識し、

装飾において脱するものがなかった者たちの意見も聞いて、

自らの行動が社会にどのような影響を与えそれによって踏んでいた人はいないか、構造と現実にしっかり向き合い思考する

必要性が発生している。

今現在(2020/8/23/19:30)、零(01)氏のそのような発言や行動はnote、ツイートからは一切見受けられない。

私は非装飾自認者の方々の意見・主張・定義・理論を勉強し、これ以上踏んでしまわないか常に確認する必要性がある為、彼らのnoteやツイートは定期的にチェックしているのだが、そのような行動を取る者は一人も現れていない。(※もしも見落としてしまっていたのなら申し訳無い。このnoteをツイートする際に一緒に情報提供頂けると非常に有難いです)

そもそも、

非装飾だった人間の存在を蔑ろにはせず、

決して謝るべきではなく、

「自分が装飾してたことによってどんな社会的影響を及ぼしていたのか」をしっかり見つめて、

踏んでいた事実を認識し、

装飾において脱するものがなかった者たちの意見も聞いて、

自らの行動が社会にどのような影響を与えそれによって踏んでいた人はいないか、構造と現実にしっかり向き合い思考する

とは、具体的にどのような行動を伴って「構造と現実にしっかり向き合い思考した」と態度・もしくは言動に表出させていけば良いのかが全く提示されておらず
「貴方に言われるまでもなく、私は内心で自覚・自省しておりました!」と内心の自由の範囲内に捉われてしまうのであれば、誰も個々人の内心の確認まではしようが無いのではないかと私は思うのですが、上記太字は具体的にどのような行動の事を示しておりますか?

また、装飾において脱するものがなかった者たちの意見も聞いて、とあるが、全員(※今回の場合ポストコロナの「就職してからリモートワーク続きで全く化粧・女性ジェンダー装飾をしていない」新世代社会人女性達)からのヒアリングは到底不可能であろうし、そもそもTwitterやネット上にどれだけこの層の女性達が存在しているのかも数を測定出来ない。そして、彼らとのコンタクトの方法も確立されていない。百歩譲ってコンタクト出来たからと言って、絶対に意見を述べてくれるとも限らないし、そもそも化粧・装飾についての意見を全く持たぬ者も居るだろう。となると、声明を発表してくれるまで待つしかないのであろうか?

また、貴方がた非装飾自認者(※しかし、過去装飾していた時期がある)はポストコロナの新社会人達に対し、日頃どのような自省・自覚行動をしていらっしゃいますか?どのような行動を、自省・自覚行動だと、定義づけますか?

不定期に「私は過去踏んでしまっていた」とツイートしますか?BOTを作りますか?リアル職場や友人にそのような発言をしますか?内心に留めておくだけですか?どれくらいの周期で「自分は、より非装飾である新世代社会人女性達を過去踏んでしまっていた」と意識すべきですか?

私はこの論の提唱者ではないので、上記のような『自らの行動が社会にどのような影響を与えそれによって踏んでいた人はいないか、構造と現実にしっかり向き合い思考する』の具体的内容を定義づけることは出来ません。

ご多忙の中恐縮ですが、こればかりは私めにはどうすることも出来ないので、
論を提唱した方に、是非とも定義付けて頂きたい。


零(01)氏のnote次回作を心よりお待ち申し上げております。


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