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若い女性に贈る 韓国4B・4T運動入門〜非産編〜

現在、Twitter上で代理出産についての是非で紛糾している。

今回は、韓国発進の社会運動・4B4T運動の、特に非産の項目についてと、代理出産を始めとする女性が出産する事についての女性の人生・身体に与える害悪の側面について論考しようと思う。

【今回代理出産がTwitter上で紛糾するに至ったそもそものきっかけ】

今回、代理出産がTwitter上で紛糾するそもそものきっかけとなった記事をまずは紹介しよう。

https://web.archive.org/web/20200823062510/https://veryweb.jp/life/106461/

きっかけとなったのは、女性誌「VERY」の「30代の卵子凍結」についての特集記事であった。

「30代の卵子凍結」記事の問題の部分

上述のNEVERまとめより抜粋させて頂く。

VERY世代は生殖のタイムリミットにつねに急かされている

ス 社会で活躍する女性が増えているのに、仕事がいちばん楽しい時期と子どもを産まなくちゃいけないとされている時期がドンピシャっておかしい。どれだけ女の人の活躍が進んでも、最後のガラスの天井が肉体のタイムリミット=妊娠・出産。卵子凍結はまだ新しい技術だけど、怖がったりタブーにしておくのはもったいないと思います。

(中略)

申 卵子凍結の次に来るのは代理母だと思うんです。

ス 卵子凍結をしても自分で産むにはリミットがあるから、その流れは必ず来ますね。

申 日本だと向井亜紀さんが代理母出産(*注5)して話題になっていたけれど、米国ではサラ・ジェシカ・パーカーやキム・カーダシアンのように代理母で出産するセレブがいますね。費用的にはなかなか手軽にはならないのだと思いますが、選択肢が増えることは良いことだと思います。

(中略)

ス 女の人だって仕事があって自立していれば、子どもを産むために結婚する必要はない。恋愛や結婚と関係なく、望んだタイミングで子どもを産める自由がある。夫というパートナーがいなくても、現にアメリカやヨーロッパでは充実した社会的支援のもと精子提供を受けて生まれた子どもがすくすく育っているから、家族という形式にこだわりすぎなくていいと思います。

申 国や社会は家族の在り方や女性の生き方を枠にはめようとしますが、子どもを持つというのは本来すごく個人的な選択。その人らしい選択をできるようになればいいと思います。そのためにはまず選択肢が増えていかないと。卵子が冷凍されていて子宮も借りられるとなると、何歳になっても子どもが持てる。子育てに要する体力的な問題はありますが人生100年時代のこの先、50代、60 代になってから育児をするなんて選択肢があってもいいのでは、と思います。


北丸@時短昼行灯 @kitamaru
VERYはそれに加えて、強者女性が弱者女性を搾取することをカジュアルに話すクソ企画だったので私は怒り狂ってるわけで。(ちなみに、まだ怒ってるし、代理母の話を美談にするようなことはしつこくぶった切る所存)

代理出産・代理母の問題点

代理出産・代理母の問題については、以下のような有志が結成した団体も存在する。ご興味がある方は参考にして頂きたい。

代理出産は、私たち自身や、自分の家族、親しい人々の命と健康を奪う危険をもたらすが、それらはいかにして正当化されるのであろうか。代理出産は、親を契約により決める行為であるが、生まれた子どもにとって、契約上の親が本当の親となりうるのか。また、自分の体から生み出した人間が、子と赤の他人となりうるのか。そもそも親子のつながりが、誰かの意思に基づいた契約により決められる社会を、我々は欲しているのだろうか。

現実として、すでに数多くの問題が生じている。いくつもの調査が、代理出産を引き受けるのは低所得の女性であることを指摘しており、代理出産が普及すれば、人体を搾取する手法として成立するであろう姿を予測している。実際に、発展途上国の女性たちが生活費を得るため、先進国の人間からの代理出産依頼を引き受けている場合もある。そのうえ依頼者たちがより安い身体を求めて、さらに貧しい国の女性に依頼する事例も生じている。

また、『生殖と代理出産とフェミニズム』というジャンルは論文の題材としては人気のある方なので、以下のような論文等の類も無料PDFで読める。


生殖における身体の資源化とフェミニズム

例えば江原由美子さんは『自己決定権とジェンダー』という本の中で、女性の自己決定権というのは、決して「私のからだは私のもの・所有物だから、好きなようにしていいのだ」という意味ではなく、夫や家族、あるいは国家などの家父長制的社会との闘いという文脈において意味を持ってきた概念なのだと書いておられます。

(荻野 美穂  シンポジウム「生命の資源化の現在」の基調講演『生殖における身体の資源化とフェミニズム-日本とアメリカを中心に』より)


上記のような代理母の紛糾をきっかけとして、良くも悪くも、女性の人生・身体における出産という行為がいかに女性にとって害悪であるかという論議がTwitter上で頻繁に飛び交ったのだ。



結論だけを先に言うと、フェミニズムの観点から言えば、代理出産とは女性の生殖能力を商品化する点に於いて、家父長制社会的であると言える。


そこで、今回は、韓国発信の4B4T運動の特に『非産』の項目にフォーカスを当てつつ、フェミニズムの観点から女性の出産行為の是非について批判し続けてきたラディカルフェミニストとしては、この機会に一度整理したい。

【先ずは復習】韓国4B4T運動 とは

韓国発進の4B4T運動(及びその発展形6B4T運動)とは、韓国のラディフェミ女性達が家父長制打破・抵抗の形としての男性からの権力奪還を目的とした社会運動である。

分かり易く御説明して下さっている韓国女性のTweetがあったので、以下に引用させて頂いています。

4B:非婚、非出産、非恋愛、非性行為
6B:4B + 非消費、非婚女性同士の助け合い
4脱:脱コルセット、脱宗教、脱アイドル、脱オタク
4B必須6B発展4脱努力だ。
「4B」は男性を排除することで、「6B」は女性と連帯することであり、「4脱」は自分の人生がすなわち運動になるようにすることだ。


では、何故このような社会運動が市井の女達に求められ、また苦慮を重ねたのち編み出され、勃興する運びとなったのか。


家父長制と、それが如何に我々の社会に浸透し、広く世界的に普及されてしまうに至ったかの過去の歴史的背景と共に、今回のテーマである『非産』がどう家父長制社会からの権力奪還に有効打であるかを、説明していきたい。


1. 女性が従属せざるを得なかった歴史的経緯

何故女性は歴史的に、男性に従属してきたのか。

それは、女性が自らの出産能力を、男性の経済力と引き換えに、男性に強制的に譲渡させられてきたからである。

長らく、女性に産むか産まないかの決定権は保障されていなかった。


今日まで数千年間に渡って存続してきた家父長制社会は、女性の生殖能力とセクシュアリティを支配、管理する家父長制社会を基盤として歴史的に創り出されたシステムであるからである。

近年になってのち、フェミニスト達の努力によって、リプロダクツ・ヘルス・ライツとして女性の身体の自己決定権を勝ち取ってきた。


しかし、依然として女性の身体の自己決定権が世界中の全ての女性にあるとは決して言えない状況下である。

と言うのも、貧困地域において児童婚や連れ去り婚、女性器切除、児童人身売買等、女性や女児の人権・身体の自己決定権が全く保証されない状態だからである。




更には、先進国に於いても、女性に対する公的・私的生活における性暴力や、性犯罪の軽視が問題となっている。

こうした女性への暴力は、家父長制における男性による支配によって起こっている。

私たち女性は、これに対してどのような抵抗ができうるのか。

女性を被差別者たらしめる構造を変えなければ、啓蒙も被害者支援も一向に終わりは来ないだろう。

これに対する答えとして最も有力なものの一つが、非産運動である。


2. 家父長制社会と女性


なぜ非産運動が女性に対する男性の暴力の抵抗となりうるのか。

それは、社会契約や市民という概念が確立して以降、近年から現代に至るまで、まさにその出産能力の為に、女性は『個人』としての市民的自由が認められてこなかった為である。

「近代市民社会は、普遍的自由の秩序を持ち、身分に基づく古い世界に対抗している。

市民社会のすべての住人は、同様の立場を享受するーーそして、結婚が契約を通じて作られるとき、私たちは、これもそのような場合だと確信できる。

しかし結婚契約は、奴隷制の持つ矛盾を内包してもいる。

社会契約の話は、女性は市民社会の一部であり、契約関係に入ることができる(奴隷は人類の一部だとみなされるべきである)という、いくらかの明らかな印を示すことを要求する。

女性は結婚契約を結ばねばならない。

しかし<性契約>は、女性が男性と異なる基盤において市民社会に統合されることを要求する。

男性が家父長制的市民社会を作り上げ、その新しい社会秩序は、二つの領域を持つように構成される。
私的領域は市民的・公的生活から分離される。

私的領域は市民社会の一部でもあり、一部ではないーーそして女性は、市民的秩序の一部でもあり、一部ではない。

女性は、『個人』としてではなく女性として統合されたのである。

(キャロル・ペイトマン『性契約と社会契約―近代国家はいかに成立したのか』、中村敏子訳、岩波書店、2017年)


引用後半部分の「女性は、『個人』としてではなく女性として統合されたのである」
「女性は、『個人』としてではなく奴隷として統合されたのである」と表す方が理解し易いであろう。

とするのは、「女性は市民社会の一部であり、契約関係に入ることができる(奴隷は人類の一部だとみなされるべきである)」というところから読み取れる。

即ち、人間(男性)が近代市民社会の一員となるとき、国家と契約を結んで自由と平等を手に入れるが、女性に於いては、それは許されていないのである。

何故なら市民的自由の本質は、女性に対する男性の家父長制的権力が設立される事にあるからである。

その家父長制的権力が設立される仕組みとは、女性が私的領域において再生産労働や家内労働を担い、男性がそれに依存しながら、公的領域へと踏み出すための男性の市民的自由が成り立つ、というものである。

男性が公的領域から主に女性のいる私的領域を支配するための家父長制的権力が設立される。

女性が被抑圧者と位置づけられるのは、「産む性」=再生産者であるとともに、再生産労働とその成果である子供や市場の利益を男性=家父長に領有される為である。

この家父長制的権力によって、女性は常に男性の暴力・抑圧・支配下に置かれている。

此処で言われる家父長制における結婚とは即ち、男性と性契約を結んで子供を出産することを含意している。

女性が結婚しなければ市民として認められていない現状は、扶養控除や女男における賃金格差のように、現在においても様々な形で色濃く残っている。

女性というだけで家父長制のもとに二流の労働力と見做され、女性は生産労働者として市場に入る事も(公的領域)市場から出る事も(私的領域)解放ではない

そもそも、生産と再生産は相互依存の関係であるし、生産が出産(再生産)メタファーであるにも関わらず、家父長とは恥知らずな事だ。


こうした現状は、女性が結婚して子供を産み続けていては、決して打倒できないであろう。


3. 家父長制社会に於いて、非産運動が女性にもたらす効力


では出産がなぜ女性の人権を後退させるのか。

出産が女性の人権にとって悪影響をもたらす理由として、大きく分けて三つの理由が挙げられる。


第一に、妊娠、出産は女性の身体に対する虐待行為であるため、女性の人間としての権利が脅かされる為である。

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人間の女性にとって、出産は苦しくて危険な人生の一大イベントである。分娩の痛みは、指切断の痛みほどではないが、骨折の痛み以上で、それが15時間も続く。たんに痛いだけでなく、危険でもあり、2015年現在の世界の妊産婦死亡率(妊産婦10万人中の死亡数)は、216である。途上国では母親の死因のうち四割が妊娠関連である。現在の日本の妊産婦死亡率は、100以下であるが、戦前は200以上あった。


第二に、男性との性行為、妊娠、出産、子育ての過程は全て、男性に対する服従行為である為、女性は男性に対して劣位に置かれる。

何故なら、妊娠出産は女性の身体の資源化の為に、男性への従属を決定的に意味づけるものだからである。

これは男性のホモソーシャルに於いて、女性を妊娠させた一人前の男として、他の男性に認められる為である。このような男性の下劣なルールに、女性は利用されている事実が確かにある。

これについては、例えば、女性が男性に対する従属ではなく家庭内での愛ゆえだとか、あるいは自分は産まされているのではなく、自分が自らの意思で産んで育てるのだ、という主張をしたとしても、
家父長制においては、妊娠・出産が女性の身体に対する虐待行為であり、男性に対する服従行為であることは揺らぎようがない事実である。


第三に、政治的・法的・経済的生活で権威ある地位は未だに男性が独占している世界で、女性が出産し続けると、無償のケア労働、再生産労働を担い続けることになる為である。

そうなると、政治において女性の声がますます通らなくなり、女性に対する暴力が隠蔽されたり、様々な分野で女性の功績が男性に盗用されてしまう事態が起こるのである。(これは歴史的に事実起こってきたことである。)


ワトソンとクリックの犯罪
 この掲載に先立つ1953年2月上旬、世界中の研究者がDNAの構造を解明すべく、激しい競争に明け暮れていた。24歳のワトソンと36歳のクリックも、野心を燃やし、演繹的アプローチ(一般的な前提から、経験に頼らずに論理によって個別の結論を導き出す方法)によってDNA構造に迫ろうとしていたが、思考を飛躍的に推し進めるデータや観測事実が欠けており、焦慮していた。
 一方、32歳のロザリンド・フランクリンは、女性、ユダヤ人という当時のハンディキャップを乗り越え、個々のデータと観察事実を地道に積み上げていく帰納的アプローチ(個々の具体的な事実から共通点を探り、そこから一般的な原理や法則を導き出す方法)でDNAの構造解明を目指していた。
 当時、フランクリンは職場の先輩モーリス・ウィルキンズと衝突を繰り返しており、その半面、ウィルキンズはワトソン、クリックとは友好関係にあるという背景の中で、事件が発生するのである。ウィルキンズがフランクリンの撮影したDNAの三次元形態を示すX線写真を密かに複写したものを、ワトソンにこっそり見せてしまったのだ。

〜中略〜

 ところが、これにとどまらず、クリックは2月中旬に、フランクリンが全く与り知らぬ間に、DNAに関する彼女のデータを覗き見していたのだ。というのは、フランクリンが研究資金の提供を受けていた英国医学研究機構に提出を義務づけられていた研究報告書を、クリックは審査委員のマックス・ペルーツから入手して見ることができたのである。「この報告書はワトソンとクリックにとってありえないほど貴重な意味をもつ文書だった。そこには生データだけでなく、フランクリン自身の手による測定数値や解釈も書き込まれていた。つまり彼らは交戦国の暗号解読表を入手したのも同然だったのである」、「おそらく、ワトソンとクリックはこの報告書を前にして、初めて自分たちのモデルの正しさを確信できたのだ。


上記の理由により、女性の社会的地位が著しく下落するため、男性との性行為、妊娠、出産は女性の人権を大きく後退させるのである。


それゆえ、女性と男性の権力の不均等により、女性への暴力が隠蔽されることも大いに起こり得るし、まさにこの瞬間にも起こっている。

それが他国で起ころうと、身近な場合であろうと、家父長制によって全ての女性は男性の下に置かれる「女性支配カルテル」において、一人の女性への人権侵害は、我々全ての女性に対する人権侵害である。決して他人事のように捉えるべきではない。

何故なら、一人の女性が身体の所有権・決定権を男性の家父長制的権力によって侵害されている社会に於いては、それは単にその女性だけの問題ではなく、その社会に生きるすべての人間がその人権侵害に加担・関与しているからである。

同じ社会に生きる市民という理由で、誰しもその問題に取り組む責任からは決して逃れられない。

それゆえ、女性が身体の所有権・決定権を侵害されている世界においては、女性は誰でも例外なく、女性差別の被害者である。


まとめ

以上により、出産は女性の人権を後退させるため、非産運動が必要不可欠となる。
女性は自らの出産能力によって支配されてきたし、現在においても尚支配されている。


女性は少なくとも自分の意思で、これ以上自らの身体を犠牲にしてはいけない。


そして、男性の支配から脱するために、女性たちは闘わねばならない。
歴史的な女性の従属を断ち切る為には、非産運動は不可欠である。

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