坂本龍一レビュー

坂本龍一

YMOのキーボーディストとして活躍。同時期にソロとしての活動を始める。 アルバム作品だけでなく映画音楽も手がけ、 「ラスト・エンペラー」でアカデミー作曲賞受賞。 社会的発言も多く、 ある意味YMOメンバーの中で最も好き嫌いが分かれるタイプの人。 愛称は『教授』。

千のナイフ
 B+

[総評]
1978年。坂本龍一初のソロアルバム。 同時期に発表された細野晴臣「コチンの月」や、 YMO「Yellow Magic Orchestra」などのアルバムとの共通点が見られ、 シンセサイザーの音色やオリエンタル志向のアルバムコンセプトなどが共通している。 後にYMOライブで頻繁に演奏され、 セルフカバーもされた「Thousand Knives」「The End of Asia」 といった楽曲が秀逸。 この2曲を軸にした東洋風シンセサウンドが展開される一方で、 「Grasshoppers」のピアノが逆に印象的。

B-2 Unit
 B-

[総評]
1980年。スロッビング・グリッスルや、キャバレー・ヴォルテールなど、 ニューウェーブシーンにおけるノイズ/インダストリアルバンドの影響を受けたアルバム。 YMOでわかりやすいテクノポップ作品を発表する一方、 その反動として実験的な音楽をソロアルバムで展開。 IDM、グリッチサウンドを20年先取りしたような、 極めて先駆的なエレクトリックサウンドとなっている。
坂本作品についてしばしば言及される、印象に残る特徴的なメロディを持つ曲は少なく、 そういう意味では聴く人を選ぶアルバム。 「Thatness and Thereness」は物悲しい雰囲気を漂わせる名曲。 坂本初ボーカル曲でもあり、次作「左うでの夢」の布石とも言える。

左うでの夢
 C+

[総評]
1981年。 後の「Beauty」「Smoochy」のように、 坂本のボーカルを全面的に推した作風であるが、 それら2作と異なり、作風は前作「B-2 Unit」同様、実験的なものになっている。 前作では音色やノイズを追求していたのに対し、 今作ではいわゆるグルーヴを追求している。
「ぼくのかけら」、「かちゃくちゃねぇ」のような、 祭囃子を意識したようなリズムパターンや、 「The Garden of Poppies」や「Relache」のような、 非常にグルーヴ感あふれるドラムが印象的。

音楽図鑑
 B+

[総評]
1984年。YMO散開後に発表されたアルバム。 前作までの実験的な要素はやや影を潜め、 メロディのはっきりした曲が多い。 サウンド的に「未来派野郎」への橋渡し、といった雰囲気のアルバムだが、 その楽曲の多様性から、坂本龍一の代表作の1つとしてしばしば挙げられる。
後に自身のライブで多く披露される曲が多く、 「Tibetan Dance」「Self Portrait」「M.A.Y In The Backyard」などは様々なライブ、 アレンジアルバムに収録された。 「A Tribute to N.J.P」はサックスとピアノが不思議な旋律を奏でる良曲。

エスペラント
 C+

[総評]
1985年。前衛舞踏家に依頼された舞台音楽をまとめたアルバム。 前衛舞踏というテーマに基づき、 ストラヴィンスキーの春の祭典やケチャ、民族音楽といった、 古今東西の前衛舞踏のエッセンスを混合させた作風が特徴。 細かいシーケンスフレーズの反復や不協和音、 突然のブレイクといった実験的なサウンドが展開されている。
非常に実験的なサウンドなのだが、 随所にメロディアスなフレーズが挿入されており、 ポップミュージックの枠に収まっている。舞台音楽として考えると、 これをバックに踊るのはかなり難度が高そうだとは思うが。

未来派野郎
 B+

[総評]
1986年。ソロアルバム「S-F-X」やユニット「Friends of Earth」などで 『オーヴァー・ザ・トップ』と称した、ハードなエレクトロサウンドを追求していた細野に対し、 坂本は1900年代に起こった芸術『未来派』からその名を取り、 細野同様ハードなエレクトロ路線を展開した。
フェアライトCMIやDX7といったサンプラー、 デジタルシンセを多用した80年代サウンド全開といった作品。 これ以降、徐々にワールド・ミュージック路線へと傾倒していくため、 最後のテクノアルバムと言えるかもしれない。 「黄土高原」は坂本龍一作品の中でも傑作の一つ。

Neo Geo
 C

[総評]
1987年。前作「未来派野郎」でのハードなビート感を継承しつつ、 それらの要素に加え、ケチャや沖縄音楽といった民族音楽的要素を取り入れた作風。 良く言えば「未来派野郎」と「Beauty」の両方の要素を持つアルバムであり、 悪く言えばやや中途半端な、過渡期のアルバム。
このアルバムは表題曲「Neo Geo」の1トップといった感じであり、 この1曲でアルバムのコンセプトを表しているといってもよい。 そしてその分、他の曲はどうにも存在感が薄め・・・という印象。

Beauty
 A-

[総評]
1989年。前作で取り入れた沖縄音楽・ワールドミュージック路線を更に突きすすめた作品。 前作との大きな違いとして、シンセサイザー中心だった前作に対し、 生楽器サウンドが主体となっている。 同時期にワールドミュージック路線を展開した、 「omni Sight Seeing」(細野晴臣)とは好対照をなす。
沖縄民謡を始めとしたカバー曲が多く、 メロディーメーカーというよりは、 プロデューサー・アレンジャーとしての側面が出た、中期の代表作。 「ちんさぐの花」の美しさは素晴らしく、名カバーの1つ。

Heartbeat
 B

[総評]
1991年。活動の拠点をニューヨークに移し、 ニューヨークでの流行だったハウスミュージックを取り入れた作品。 この作品以降、ポップミュージックへのアプローチはより強まっていく。
前作までの、ワールドミュージックのエッセンスをわずかに残しつつ、 ハウスやヒップホップといった音楽を中心とした構成。 表題曲「Heartbeat」は分かりやすいハウス曲。 後の「Smoochy」に通ずるサウンドの「Sayonara」は、 このアルバムではやや異質な存在。

Sweet Revenge
 C-

[総評]
1994年。前作同様、ニューヨークで流行しているサウンドを取り入れるという方針を継続、 前作がハウスミュージック中心だったのに対し、 今作はアシッドジャズ、ボサノバ、ヒップホップなど様々なサウンドが取り入れられており、 その中にオーケストラ的サウンドが挿入されている。
ポップミュージックアプローチを突き進めた結果、 当時のニューヨークでの流行を取り入れた、洒落た作品となっている・・・のだが、 サウンド的にはどれも『風』がつく、といった感じで、 多様なのは多様なのだがどれも咀嚼しきれておらず、 坂本龍一のアルバムとしての必然性が薄れている・・・ といった印象の作品。

Smoochy
 A

[総評]
1995年。「Heartbeat」からのポップ路線の集大成的作品。 これ以降、過去作品をピアノアレンジした「1996」や、 「Energy Flow」で有名な「ウラBTTB」、「BTTB」など、 ピアノ曲メインの、所謂モダンクラシカル路線へと進むことになる。
ポップ路線の集大成ということで、かなりクオリティが高く、 収録されている作品はどれも上質の、名ポップミュージックアルバムなのだが、 それまでのポップ路線が(特に従来のテクノ路線支持者に)あまり支持されておらず、 そのために些か地味な知名度のアルバムになっている、という、 どうにも不遇なアルバム。

Chasm
 C

[総評]
2004年。サウンド面では、スケッチ・ショウや小山田圭吾といったアーティストからの影響を、 コンセプト面では、同時多発テロ事件の影響を受けたアルバム。 それまでのモダンクラシカル路線にエレクトロニカサウンドを乗せた、という作風で、 ある意味、「B-2 Unit」の現代版、といった作品。
シングルカットされた2曲「Undercooled」と「Ngo」が良い。 「Undercooled」はオリエンタルな楽器、メロディーが印象的で、 2000年代における坂本龍一の傑作。 「Ngo」はシングル版とは異なるMix。 シングル版は「Smoochy」路線を彷彿とさせるボサノヴァであるが、 アルバムでは最小限の音で構成されたMixとなっている。

Out of Noise
 C

[総評]
2009年。モダンクラシカル路線を継続、ほぼ全編に渡って、 ピアノと弦楽器による静謐なサウンドが奏でられている。 中盤の楽曲では、北極圏旅行に影響を受けた作品が並んでおり、 北極圏でサンプリングした種々のサウンドが効果的に使用されている。
現在(2000年代後半以降)の坂本龍一を象徴する、 ピアノ主体のアルバム。 「Hibari」「Composition 0919」は、フレーズをずらしながら展開させていくミニマルな作品。 「to stanford」はカバー曲。 しかしカバー曲ながらこのアルバムでは最も『坂本龍一風の』作品。

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