【忘備録】椅子3
椅子について話し始めたところ、なぜか転がるように目の前に椅子を実際に大量に見る機会が転がり込んできた。
さらにはとんでもない名作椅子に座ることまででき正直なところ心臓が飛び出そうで具合が悪くなりそうなレベルだった。
ありがたいことにここ数日そんな機会に恵まれた。
昨日は眠気に負け、また連日投稿が0に戻ってしまった。
記事の数は73だそうで、続けられていれば…と思うことはあれど自身の健康第一で。
昨日の話から。
「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」に行ってきた。
100脚の椅子とその椅子周りの話がこれでもかと愛と共に詰められており、本当に楽しかった。
撮影可能な範囲がとてつもなく広く、大量に写真を撮影すること1時間。
150枚弱の写真が携帯には保存されていた。
角度によって表情を変える椅子は何も知識がない状態であれ魅力を感じ、説明を受けてから表情を急激に変える椅子もちらほらと見受けられた。
こんなにも時代を追うように名作椅子を眺められる機会は人生でなかった。
その体験が明日の5/5までだというのは口惜しいほどである。
椅子の精神的な意味についてご存知だろうか。
椅子の表面の美しさに気を取られ、歴史や作り手の愛ばかりに気を取られていた私は何一つ知らなかった。
展覧会の一つのパネルにはこう書かれていた。
「地位を表す」
建築家であったオットー・ヴァグナーがデザインしヴィットマン家具工房にて製造されたウィーン郵便貯金局のアームチェア。
「地位を表す」を具現化した初の例だそうだ。
このアームチェアを見てから他の名作椅子に出会った時に、久しぶり!となるような椅子に出会った。
その時に「地位を表す」が脳裏を過ぎると確かにそうだ、と納得する心があった。
どうして久しぶりだなんて感情を抱かせるというと、やはり場所≒地位のような発想が出てきたからだ。
あの美術館に置いてあった、あの場所で出会ったことがある、そんなことだ。
そうこうしていると時代が現代に近づいて行き素材が現代寄りになりデザインも素材によって耐久性が上がることと同時に斬新ではあるが座りやすそうな椅子が顔を出してきて最後まで目を釘付けにさせられる展覧会だった。
ここまでが昨日の話。
本日は月一のイベントがあり、それを偶然知れたためにそのイベントに参加してきた。
それが照明機器と椅子を楽しむようなもので、実際に購入ができるのだがNetflixの贅沢な予算があるドラマなどで使われるような家具たちが待ち構えていた。
昨日、名作椅子を目にして、一部体験できてしまったがためにもう驚くことはないと思っていたがそんなことは全くなく上は果てがないのだなとぼんやり思うほどしかできない座り心地に溶けていた。
誰が座ってもまるで自分のために作られたのではないかと錯覚してしまう椅子だった。そんな椅子がこの世に存在していたのだと思うと俄然面白くなったが、同時に知らない世界の話を偶然知ってしまったような緊張感も得られた。
とにかく背中に冷や汗が流れないことだけを祈りながら、それでもやはり楽しい時間を過ごした。
その中でまだ手が届きそうな日本産の椅子に出会い、一生の椅子にするなら購入してしまうのも良さそうだと検討を始めることになったのだった。
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