210909 記録

コロナのワクチンを打った。ようやく1回目だった。

住む市は20代の若者に予約枠が回ってくるのが遅く、ようやく予約できた枠だった。都内の友達はもう8月に2回目まで済ませている人が多い。シンプルに羨ましかった。
いろんな人のいろんな事情がある。打ちたい人も打ちたくない人も、たまたま打てた人も、打てない人もいる。SNSに溢れかえる副反応のレポに他意がないことなんて、十分わかっている。誰かの話をしているわけではないし、誰のことも責めていない。
わかってはいても、羨む気持ちは止められなかった。自分の矮小さに落ち込む日もあった。

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ワクチン自体への未知の恐怖はあったけれど、何よりも免罪符として打ちたかった。申し訳なくない気持ちで、毎日を過ごしたかったし、申し訳なくない気持ちで、地元に帰りたかった。祖母に会いたかった。

もう1年半以上、祖母と顔を合わせていないことになる。最長記録だ。中・長期の休みのたびに、私は欠かさず帰っていて、必ず祖父母に会っていたから、こんなに会わないことなんて人生で一度もなかった。

大事にできているかと言われればあまり大事にできていない、だけど世界で一番大事なおばあちゃん。早く会いたかった。
祖父を亡くしてから、会えない期間が怖くなった。抱きあって再会を喜び、手を握って、いろんなことを話して笑って、感謝を伝えて、それができない間にいなくなってしまうのが怖かった。

いつも自分のことはほっぽって、娘息子、孫たちのことを一番に考えて、いつもみんなの健康を祈ってくれる優しい優しい祖母。ユーモアたっぷりで、おちゃめで、無茶しがちで、いつも若々しくって、面白くて、可愛らしい祖母。早く会いたかった。


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ワクチンを打った。打ったのはファイザー。地区センターでの集団接種だった。(解禁初週になかなか予約が取れなかったので、会社に直談判し出勤時間をずらしてとった。KPOPでの予約戦争ノウハウが役立った気がする。)

注射が小さい頃から苦手だった私は、健診の採血レベルで気が遠くなって、時には倒れたりする。いわゆる迷走神経反射。説明のできない恐怖があった。小さい頃に入院したことが原因になっている気がする。やっぱり今日も極度の緊張状態だった。

地区センターは、すごく上手にシステム化されていて、動線も明解。スタッフが各所にいて、ものすごく無駄がなかった。考えた人も、日々現場で働く人も、改善していく指示出しの人もすごいと思った。何よりも全員すごく親切で優しく、明るかった。感染症が蔓延していて、そのワクチン会場なのだから、もっとシステマチックに冷淡なのかと思っていたのに。医療の人たちには本当に頭が下がる。人と接することが最大のリスクな世の中で、当人たちと接し続けている人たち。心から尊敬した。

それでもやっぱり理性とは別のところで働く恐怖心が、足を重くさせたし、顔面は蒼白だったのだろう。色んな人に声をかけられて、大丈夫か聞かれて、励まされた。20代も後半なのに情けなかったし、声かけの仕事を増やして申し訳なく思った。自分としては、一生懸命背筋を伸ばして平然としているつもりだったけど、全然できていなかったみたいだ。

看護師さんは「わたしも看護学校時代に注射で迷走神経反射を起こして倒れていたのよ」と言いながら準備をしてくれた。ベッドで寝ながらその話を聞いて少し安心した。注射はすごく上手で全然痛くなかったが、その前まで神経をすり減らしていたせいか、起き上がれなかった。
起き上がれるようになって、待機用の椅子で15分待つ。そこでも看護師さん達がローテーションでたくさんいて、多くの人たちの体調に細やかに気を配っていた。頭が上がらない、と思った。ベッドで寝て注射をしてもらった身である私は、特に気にかけてもらって、その優しさに少し落ち込んだ。

15分後に立ち上がろうとすると、立ちくらみでずるずると椅子に吸い込まれるように倒れこんだ。すぐに複数の看護師さんたちが飛んできて、支えて心配してくれる。申し訳なかった。「申し訳なくないですよ」、と言われた。優しくて眩しい笑顔だった。少し涙が滲む。情けないなと思いつつ、理性で律することができなかった恐怖を、誰も疎まず誰も鬱陶しがらず、誰も怒らなかった。誰も否定せず、馬鹿にせず、ひたすら優しかった。


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一人で地元を離れて暮らして、コロナが蔓延して。だんだん感覚が麻痺してきて毎日を普通に楽しく過ごしていても、心に巣食う不安は消えることがない。大事な人がコロナにかかってしまって、会えないまま遠くに行ってしまうのが怖かった。それが、世界全部で同時に起きているのが、本当にすごく怖かった。コロナ対策のあれこれを一人で全部やるのも、心細くて、心配だった。実際色んなことを適当にやっていたし、誰かと暮らしたり実家にいたら卒倒されるくらい杜撰な感染対策だったと思う。

それでもそれが私の精一杯で、日々のひとり暮らしの生活を成り立たせながら、仕事をしながら、プラスアルファで感染対策をするのは、キャパシティ的にも自分の脳の特性的にも限界があった。だから、早くワクチンを打ちたかったのもある。人に移して重症化させる可能性を少しでも下げたかった。

ワクチン会場の看護師さん・スタッフさん達の優しさがすごく沁みてしまったのは、ここまで情けなくもよく生きてこれた、と思ってしまったからだった。他人に思いやりを向けることが難しくなった世界で、温かな医療従事者の方々の仕事ぶりに涙が出た。

注射の後の「はい、終わりですよ。よかったね」
全くの他人である看護師さんの心からの「大丈夫ですか?」
立ち上がれるようになってから、いろいろ説明されて、ひとり暮らしであることを伝えた時の心底心配したような声。
全部、私にとってはものすごい救いだった。ありがたいなあと思った。


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会場から出ると、色んな人が色んな面持ちでワクチンを受けに地区センターに向かってくるのが見えた。

なんとなく、これは歴史の教科書に載るんだろうな、と思った。コロナという新しい病気が流行って、世界が大混乱になって、世界中で免疫をつけるために注射を打った。病院だけでなく、地区センターや会社や大きな建物で、色んな人が一斉に同じ注射を打っていた時期があった。コロナの免疫を誰も持たず、対策もなく、不安に生きている時代があった。そういうふうに、後世の人たちが認識するんだろうと思った。

歴史の教科書で、文字として理解していた病気の歴史を、私はたまたま踏んだ。きっと忘れないんだろうな、と思う。

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