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迷子になって途方に暮れて失くしてきたもののことを思った。『君たちはどう生きるか』まとまらない感想

2023年7月15日、見た。
感想には自分はいくつか段階があって、文字にならない冷静でない感傷的な思いを抱いた映画は、その痛みを忘れてしまいたくないと思うので、冷静でない状態で必死にメモをする。
この覚書はそういう感想で、感性的な雑文の保存である。

鑑賞 覚書

物心つくかつかないかの幼少期にもののけ姫ラピュタナウシカトトロで強烈なジブリ原体験をして、自我が萌芽する児童期に千と千尋で「神隠し」を疑似体験した。児童文学ファンタジーに没頭しきった頃に自分が読んだ原作からは全く想像もできなかった動く城に取り憑かれた。
そうやってことあるごとに魂を揺さぶられてきた幻影たちに翻弄されて、高熱で魘されるときに見る夢のような目まぐるしく捉えどころのない旅に連れ回されたみたいだった。そこには説明も理屈も何もなくって、理解と理性のフィルターを外されて無防備になった童心に鋭く突き刺さる。心が出血して終わったあと立ち上がれなくって、本当は声をあげて泣きたかった。歯を食いしばって耐えた。

わからない世界のことをわからないままでも愛したかったのに、いつからかそうじゃなく生きていたことをまざまざと突きつけられたような気持ちになった。
喪ったひとやものを少しずつ少しずつ忘れながら生きていることも思い出す。いろいろな哀しみが浮かんでは消えて、途方に暮れて迷子になった。

今生きていることにどうしても泣きたくなった。こうやって泣きたくなった理由を言葉にしようとしていることも「何か違う」になったりもするし、理屈なしで受け取って大怪我を負った自分が作品を論じることはできなかった。

この作品は、好き嫌いも論評も真っ二つだろう。
殊に大人の場合は、とある人たち—たとえば、幼き日々の不思議な出来事やジブリが描く原風景やそれを成長とともに喪失した痛みをずっと心象風景の中に抱き続けているような人たちだとか—にしか強く深くは刺さらない作品なのかもしれないなあ。

ただ、宮崎駿がこの世から去る時にわたしは沢山泣くんだと思った。

子供たちがどう受け取るのかを知りたい。宮崎駿の作品は子供のものなのだと思うから。


雑記 前情報が無かった手法と考察される「ストーリー」について思うこと

観て思ったのは、内容を隠す・ストーリーを伏せるとかじゃなくって、事前告知するにしても適切に切り取れる場所がない。
どこをどう切り取っても青鷺の嘘みたいになってしまうし、どこに焦点を置いても本質も要約も語れず、全部「そうじゃない」になってしまう気がする。ストーリーを紹介しようにもストーリーラインで出来てるタイプの物語ではない。というか「物語」じゃなかった。

そう、これは「物語」じゃなかった。でもうまく言えないのでもう一度観てから追記できたらしようと思う。

一つだけメモしておくならば、ストーリーラインがわかりにくいからそう思ったのではなくて、作品の語りのタイプとして「語り手(teller)がいて筋のある物語(story)ではない」と思ったのだった。
削ぎ落とされた説明と、目まぐるしい走馬灯のようなシーンの切り替えは、たしかに難解な部分もあるのかもしれないけれど、ちゃんと大事なことはわかるようにできている。
ただ、昨今の作品とかなり違うのは脚本による「説明」が本当に少ない。
登場人物(特に主人公)はいきなり訳のわからない状況に放り込まれても、「ここはどこだ」「お前は誰だ」「どうしてこんな目に」などそういうことを言わない。言わないので相手も説明をしない。
答え合わせや元ネタ探し、メタファーの拾い集めと深堀り、きっちりした伏線回収が求められる風潮や考察の噛みごたえのある作品に慣れている人にとっては、かなり不可解な部分が多いと思うし、苦手と思うかもしれない。
(説明や答えや元ネタ探しや考察を求めすぎる昨今への宮さんからの挑戦状かも・・・と少しだけ思ったりした。これは邪推であり自分にとって雑念なのであんまり自分では深掘らないことにする。)

ともかく、戦略なのもあるだろうし映画宣伝の現在の形に思うところもあったのだろうけれど、一番はそこなんじゃないのかなって勝手に思った。この作品はどこをどう切っても嘘になってしまいそうだった。


雑記 真面目なところは置いておくシンプルな叫び

久石譲の音楽と、宮さんが描く見たことがあって見たことのない絵、本当に本当に本当に本当にずるい!!!!!!!!!

眞人さんは本当に本当に本当に本当にかっこいい!!!!!!!!かっこいいと言い切ると陳腐になっちゃう気もするけど本当に好きな主人公だった。わたしはジブリの登場人物だと、小さい頃からずっとずっとパズーが1番「魂」なんですけど、いま、眞人さんがパズーと並んで1番魂、のところにいる。


覚書 後記

言葉にして置いておかないと忘れる。初めて見た時のこの痛みを忘れてしまいたくない、と思って言葉にならない言葉を歯を食いしばりながらぐちゃぐちゃのまま手元のメモ帳に残した。
そうして二晩置いて、ようやく少しだけ文章になったけれど、こうやって文章にしなければ忘れてしまうことについてもなんだか泣きたくなってしまう。
ありのままで言葉や形にせずわからないまま感じた痛みをそのまま忘れずに持っていたかったのに、その力を自分はとうに過ぎ去った子供時代に置いてきてしまって、もう持ってないのだな、と思う。

これは一つの「行きて帰りし物語」だった。
行きて帰りし物語は確かに日常に帰還するのだけれど、たとえ旅のことを覚えていなくても、旅に出る前と全く同じには戻れない。
旅のことを忘れても、何かが変わったことは明白で、そうして眞人は生きていくのだろうと思う。

どこに行ってしまったか、何をしていたか、何が聞こえていたのか何が見えていたのか。
鋭敏な感受性で見ていた何かのことがわからなくなってしまうこと、
記憶の中の風景が少しずつ遠ざかること、薄れていくこと、
何かが変わっていくこと、変わっていくなかでうしなうこと。
それでもたしかに愛し愛おしく思う何かがあったことを抱いて、自分の時間に帰還すること。
それが全部生きていくってことなのかもしれなくて、それをそのままに愛して、ある種憎んで、あるいは焦がれながら、鮮やかに描き出すことができるのが宮崎駿なのかも、と思ったりした。

でも何もわからないです。

冷静になればそれっぽい視点や批評的な感想文はいくらでも出てくる。ジブリはたくさん見ているし、見覚えのあるモチーフだったり描写だったりはたくさんあった。宮崎駿の「母」についてとか、今までの作品で描かれてきた命題とか、触れようと思えば触れられるそれっぽいことはたくさんある。
なのだけど、自分が初回で受け取ったものはその辺りには無かった。ただひたすら受けた痛みを感情的な文章に保管した。

また観ようと思っている。
今度は人があまりいない、静かな夜にね。


追記 薄れていくもの

わたし、眞人がパズーとおんなじくらい好きだ。

「君たちはどう生きるか」の景色を、旅路を、何回も見返して生きて行きたいから、多分円盤が出たら買うと思う。

正直なところ、本当に大切だった。
終わった後立てなかった。
終わった後声を押し殺して泣いて落ち込んだ。
だいじだった、なーーーーー!!!!!!!

わからないものをわからないまま忘れないで愛して生きていたかった!!!それでも遠くなって薄れて陽炎のようになっていくことが現世を生きるってことなんだと思ってそれでめちゃめちゃに傷ついて、魂が泣いて泣いて、心が破れて出血して、そんで本当に大好きな風景だったなーーーーー!!!!

本当に傷ついた。
魂が傷ついてめちゃくちゃに出血して立ち直れないかと思った。
でもまたこうやって少しずつその痛みを忘れていく、薄れていく、そして何の傷かもわからなくなっても、その傷跡をなぜだか愛おしく思う。

そういうことなんだねって思ったよ宮さん

〈本当に終わり〉


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