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アイドルになりたかった。

ステージに立つのが好きだった。誰かを救う音楽は好きじゃなかったけど、わたしを救う音楽は好きだった。キラキラした衣装に憧れてきたし、歌うことも踊ることも好きだった。誰かの好きになりたかったのだ。ミュージカルに出てもバトントワリングのステージに出ても、部活のソロを毎度友人から勝ち取ってもやっぱりわたしはアイドルになれなかった。アイドルになりたかった。

初恋の人はどこかへ行ってしまったし、親友とは連絡が取れない。知らない花が風の匂いが空が鳥がバイト先の一日の売上がわたしに季節をどれだけ叫んでも、わたしは夏以外を知らなかった。知りたくもなかったのだ。春も秋もお腹が空くし、冬なんか寒いから嫌いだ。けれど夏の始まりと終わりは海に行きたくなるし、今年も例外なく1人で11月に海に行った。馬鹿かと言われれば馬鹿だと思う、というか考えてみれば11月は夏の始まりなんかですらない。それに海に行く理由は海が好きだからなんかだけじゃなくて、そうして1人で海に行く自分が好きだったのも事実、あとは何となく悪いことがしたかったとか、他の人と違うことがしたかったとかそんなものだった。夏の終わりの無意味なノスタルジーだけがわたしの青春を青春と呼ばせてくれる。そうしてわたしには、何となく儀式めいた自己陶酔の癖がついた。こんなものが青春だとは思っていなかった。夏なんて本当に意味がなかったし、わたしはもう17歳だった。

閑話休題。今日は学校を休んだ。隣のクラスの友人から明らかに授業中である時間にLINEが届いたので思わずZenlyを開いたら、彼女の現在地は至極当然であるかのように家を示している。わたしたちは大人なんてみんな最悪だなんて毎日のように愚痴ったし、インスタグラムのストーリーでお互いを慰めあった。文化祭では8分間だけ、2人でアイドルにだってなった(今度また数分間だけのアイドルになれる予定だってある!)。そんなことからわたしたちは明々白々たる最強で、最高なのだった。わたしは今年、初めて夏の終わりのプチ家出に友人を誘った。キラキラ光るバルーンを買って、普段履かないローファーを履く約束をして、制服のまま真っ暗の海に行く。全然閑話を休題できてないのはさておき、まあ、その事はまたいつか書こうかなあ。

そんなこんなで予定が決まったら最強の友人とのLINEが止まったので、わたしはiTunesMusicをシャッフル再生に設定して雨も気にせず部屋の窓を全開にした。空は濁りきっているしわたしの咳も止まらなかったけど、なんとなくとてつもなく心地良い。家の猫が首を忙しなく動かして正気かとでも言いたそうな顔でわたしを見ていた、可愛いなあ。熱でまともに働かない頭を揺らしてふわふわの白い毛をしばらく愛でていると、いつもみたいに気を使えなかった荒い撫で方が気に食わなかったのかすぐに彼女はどこかへ行ってしまう。とほぼ同時にシャッフル再生が選んだ曲は、3年前に堤防に座り込んで作った黒歴史である最期に聴く曲プレイリストの内の1曲でわたしをとんでもないセンチメンタルに引き摺り込むには充分な曲。密室の蝶なんていなかったし、最期なんてほざいていたわたしはもう高校3年生になった。あの時のことを、それを思い出した今を忘れないためにわたしは今この文章を書いていた。正直めちゃくちゃ忘れたいけれど。

きっと夏の終わりなんていうのは今しか手に入らない感情だとかそんなものが美化されているだけであって、そんな幻想を大事に抱えられるのは今だけで、それができなくなった時わたしは散々罵った大人になるのかもしれないと思う。最低で最悪で汚くて、無垢なんて言葉とは程遠い大人に、わたしたちはいつか変わってしまうのだ。そうなる前に死ななければなんて思うけれど、結局なんとなく高校を卒業して大学生になって、なんとなくそのまま就職もするんだと思う。アイドルになりたかった事なんか忘れて夏に縋り付く暇だって無くなってしまったら嫌でも大人になる。どんなに子供めいていても夏の終わりを諦めてしまえばみんな大人になってしまう。だからこそわたしはきっと11月に海に行くことをやめないし、声だけは歌だけは捨てたくない。そうして足掻いて足掻いて縋って生きていくのだ。こんなものが青春ならいっそなんて、失いかけた今となっては到底思えなかった。わたしはまだ17歳だった。

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