老人会と中年会、そして老人ですと嘯く会。みんなちがってみんな適当。

 私は昭和生まれで親も昭和生まれですが、時々ネットで昭和ってこうだったよねみたいな話を見ると、「それは私の親世代だなあ、昭和でひとくくりにされてもな」と思ったり、反対に「そのへんになると感覚的には昭和というより平成初期だな」と思ったりとなかなか自分世代どんぴしゃの昭和が話題に上ることもないように感じたりしています。まあ昭和は六十年以上あったわけで、ざっくり三世代分は言いすぎでもゆうに二世代分の、いや戦前・戦中・戦後から高度成長期を経てバブルまで入ってるんかいと考えると感覚的には三世代以上と言えてしまうかもくらいのジェネレーションギャップはあるものなのかもしれません。
 なんだかんだ「自分が生まれる前のことはひっくるめて昔」現象というものはある程度は致し方ない話で、いつだったか誰だったかに「バブルって70年代でしたっけ80年代でしたっけ」みたいなことを訊かれて、なるほどそのあたりが平成以降生まれの解像度なんだな、こっちも話すときにはそれを念頭に置かなきゃなと感じたことがありました。

 昭和生まれといえば知り合いのご夫婦はご主人が戦前生まれで奥様が戦後生まれ、年齢差自体は十年もありませんが社会やら価値観やらが激変したその前と後世代で、お互いにジェネレーションギャップを感じる場面も多々あったようで、奥様がよく「世代でいうと両方昭和生まれの夫と私より、昭和生まれの夫と大正生まれのうちの親の方が話が通じるのよね」と笑っていました。
 私自身、生まれる前のことはざっくり「昔」で、いつだったか昭和初期の生まれの方に「〇〇さんは尋常小学校卒になるんですか」と聞いて、違うわよ国民学校よ一緒にしないで、入学した時は尋常小学校だけど出る時は国民学校になってたわよと言われて、ああそういえば国民学校ってのもあったっけと改めてそのへんの施行年を調べたりもしたものでした。
 自分が知らないことへの解像度はどうしても粗くなるものですが、モザイクの向こう側を当推量で語ったり謎のモザイク消し機で見えた気になったりしないで、可能な限り一次資料にあたったり(歴史の生き証人を資料と呼ぶな)勉強できる機会を逃さないようにしたいものです。

 とりあえず高齢の身内には話を聞けるうちに聞いておかねば。

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