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「僧正遍照」斎藤茂吉

※素人が、個人の趣味の範囲で入力したものです。
※一通り見直してはいますが、誤字脱字等の見過ごしがあるかもしれません。悪しからずご容赦ください。


僧正遍照 斎藤茂吉


 露伴先生はしばらく小説をお書きにならなかつたところが、昭和十年を過ぎてから、また小説を書かれた。幻談、雪たたき、鵞鳥、連環記などがそれである。この資料や腹案やは、もつと前に溯つてなされて居られたとも見えるが、それを、小説として公にせられることに至つたのは、下村亮一さんのおすすめによることで、私どもは非常に感謝してゐるのである。
 先生はお若く旣に自ら學人といはれ、ついで道人といはれてゐたが、私等は小説家としての先生を忘れることが出來なかつた。そこで連環記の如き大作が公表せられたときには非常に讚歎したのである。
 あたかもそのころ、御邪魔にうかがつたことがある。すると先生は或るはずみに、『このごろ死人にキツスするところを書いてをるよ』と云はれた。私は何のことかよく分からず、『左様でございますか』と申上げたのであつたが、連環記が雜誌に載つたのを見れば、『悲しさの餘りに、とかくもせで、かたらひ伏して、口をすひたるけるに』云々とある、あのところなのであつた。
 私は、連環記が二回にわたつて載つた雜誌を切抜き綴ぢて、字引を引いたり、數囘質問もいたしたりした。
 文壇、つまり小説壇は刻々に變化し、次から次へと新しい作家作風が出沒したが、昭和の年代に、平安朝を資材としたもので、かういふ新鮮なにほひのする作物は實に不思議だと私はおもつた。さうして讀返してゐるうちに、これはやはりすでに高齢に達せられた、學徳兼備の、昭和の露伴翁が取扱はれた資料だから、かくのごとき新鮮な香氣に満ち満ちてゐるのではあるまいかと思つたのであつた。『古き文に』しかじかとあるが、その何の書物に見えてゐるか、翁は微笑して云はれなかつた。戰がひろまつて、私は宇治拾遺その他をしらべる期を失つてゐた。
 私はこの小説に感動し、私もいつかはかういふものの、極めて短い、世の『短篇』といふものを書いて見たいといふことを先生の面前に於て愬へるやうな語氣で申上げたことがあつた。すると先生は、『それでは僧正遍照でも書いてごらんになりますか』といはれた。『あの少女のすがたの遍照だね』とつづいて云はれた。さうしてその時、参考書の五六種を敎へられた。その半は先生みづから筆を取つて下され、何か思出されたやうに、遍照の生涯を話され、『佛門に歸してからも、細君にあふところがある。さうして細君に平気で洗濯などさせてゐるところなんぞは、洒落てゐらあね』と云はれた。
 遍照はたしか良岑宗貞といふ人だつたと思ふが、若し小説にするとすると、佛弟子以後のことになるだらうから、先生のお話を聽き乍ら、私はひどく面白いことだとおもつたのである。
 戰爭は劇しくなり、遍照の小説どころではなかつた。さうして先生はつひに市川でこの世を去られた。私も老いてとうとう物にならず、ただ御在世中のお話の斷片があきらかに耳に殘つてゐるのみである。


底本:斎藤茂吉全集第十巻 昭和29年1月14日第一刷
初出:露伴全集月報第五號 岩波書店 昭和24年10月発行

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