「伊藤左千夫先生」斎藤茂吉
※素人が、個人の趣味の範囲で入力したものです。
※一通り見直してはいますが、誤字脱字等の見過ごしがあるかもしれません。悪しからずご容赦ください。
伊藤左千夫先生 斎藤茂吉
私の歌の師匠は、伊藤左千夫先生であつたが、先生が私等の歌を見てくださるのに、丁寧でなかなか暇どるのを通例とした。時には一首を見てくださるのに三十分ぐらゐかかることなどもあつた。それを催促したりすると『君らのやうにさう急いては困る。第一君らの気持にならねば歌が分からないのだから』という風にして歌を見られたものである。そこで歌のうへの修行などいふものは、さうがみがみと小言などをいうふものでなく、また小言をいつたところで、急に上達するものでもないから、師匠もその辺は心得てゐたものと見える。それでも棄てられる歌というふものは、結局小言の一種類のやうなものであるから、常に小言をいはれてゐるやうなものである。そしてその頃、先生から取られなかつた歌について、幾らか不平もあり、先生の頭が古いせゐだなどと思つたことは一度二度ではないのであるが、その後修行積むに従つて、やはり先生の考の方が確かだつたとおもふやうになつたものである。また、褒められた事柄よりも小言をいはれた事柄の方が後々まで記憶に残ることが多く、従つて為めになる場合が多い。
もう先生の晩年で、私も相当に勉強してからのことであるが、『この雨はさみだれならむ昨日よりわがさ庭べに降りてゐるかも』といふのを作つたことがある。これを見て先生は『この雨はさみだれならむ』のところをば、『遊んで居るね』といはれた。この批評は微妙な問題で、そのころ私にもよく分からなかつた。もつとも大正二年の作であるから、自然主義の行はなれてゐたころで、『遊ぶ』などいふことが文壇の一つの流行語でもあつたのであるが、それで私はその時はよく分からなかつたし、また幾分不平でもあつたやうにおぼえてゐるけれども、今となつてみればやはり先生の説の方が私よりも一歩進んでゐたことが分かる。併し、この先生の言に承服するには、先生と同じくらゐの力量に到達しなければ出来ないことであるために、ついこのごろになつて先生の言葉を時々おもひ出してゐるやうなわけである。歌などの修行は、修行の中では如何にも呑気な楽な部類に属するものであるが、それでも小言をいはれて見なければ、実際自分の欠点はなかなか分かるものではない。また相当な力量を得るやうになり、世間的な位置を得るやうにでもなれば、誰も小言をいつてくれる人がゐなくなるといふのが順序で、みづからは大天狗になつてしまふのである。
底本:斎藤茂吉選集第十一巻 岩波書店
1981年11月27日第一刷発行
1998年10月7日第二刷発行
初出:「現代」昭和12年7月
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