去年心が轢かれた時の話。


母親は自己肯定感が酷く低い人で、本来なら配偶者である父親がそれを支えるべきところを父親がモラハラ気質なものだから母親のそれは悪化する一方で、母親は自身の在り処を僕へ委ねることが多かった。
僕は人が欲しい言葉を投げかけるのが得意で、母親が何を言って欲しいのか、母親がどうして欲しいのか、母親の思考回路がどういう順路を辿っているのかよく理解していて、だから母親の顔色を見て行動するのは容易なことで、ただそれが他人ならともかく親子としては歪で負荷の強いものだった。

僕は家族が好きで、両親のことも好きで、ずっとずっと、家族のために何かするのが当たり前で、家族のために生きるのが自分の使命で、それはとても自然なことだと考えていて、家庭の中が上手く回ることで色んなことが上手くいくから、歪な夫婦関係の間を上手く取り持とうとバランサーとして右往左往していた。

僕はその時仕事をしながら家事をしていて、仕事は好きだったけどお金にならなくてしんどいなぁというのと、ほぼフルで働きながら急いで帰ってご飯を用意してという生活はやっぱり体力的にもキツかった。
元々メンタルも弱いから、キツキツになってくると精神的にも余裕がなくなってた。

母親は顔を合わせば僕に父親の愚痴を聞かせた。僕は母親が何を言って欲しいのか分かるし、どうして欲しいのか分かる。だからただうんうんと聞いてあげて、大変だね、よく頑張ってるねと言ってあげれば良かった。
でもそれは親子の関係が完全に逆転している状態で、本来の立場をひっくり返してやらなければいけないのだから、僕の精神的な負荷は尋常じゃなかった。
決して好転することのない、終わりのない愚痴を延々と聞かされながら、うんうんと聞いてあげられるほど僕は余裕のある人間じゃなかった。

ある日僕が仕事から帰って、疲れと焦りでイライラしながらご飯を作っている時、母親が帰ってきてまた愚痴を始めた。
僕は自分に余裕がなかったから、相手にせず適当に流してた。

その時突然、「なんで聞いてくれないの!!」と母親が怒った。癇癪を起こしたようだった。

僕はその時、あ、もう限界だ、と思った。
あの瞬間から僕は、母親を拒絶するようになった。

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ある日の早朝か深夜に母親から、「体が痛い、助けて」とLINEが入ってて、でも僕はその時間眠っていて、既読もついてなかったから母親はそれを分かってるはずなのに、起きた頃には母親がカンカンに怒っていた。

「私が辛くて苦しんでいてメールを入れたのにあいつは無視した!」
父親にも、姉にも、親戚にも言いふらして、「あいつは私を助けてくれない!最低だ!」とのたまった。

僕は訳が分からなくて、頭がおかしくなりそうだった。
姉は分かってくれてるので同情してくれたけど、その日ずっと母親は僕に対して冷たかった。

またある日の夜は、三階で母親と父親が言い合いをしていた。

母親が我慢の限界になり色々言うも、父親の不機嫌で圧のあるキレ方でどうにもならない、いつもの喧嘩だった。
確かその時は、「どうしてそんなキツい言い方ばかりするんだ」vs.「そんなすぐ直らないしどうにもならないんだからしょうがねぇだろ」だったはずだ。

段々と激しくなってきて、母親は床をバンバン叩き始めて、さすがにちょっとマズイと思い僕が上に上がったら、母親が窓から飛び降りようとしていて、それを父親が半ギレで止めていたところで。

火がついたように、床に座り込んでわんわんと泣いて叫ぶ母親を抱きしめた。
父親は呆れたような顔をしていて、この人は何も分かってないんだなぁ、と思った。
父親にはとりあえず部屋を出てもらって、暫く母親を宥めていた。僕も震えていたし、泣いていた。

暫くしてようやく落ち着いた母親から離れた後も、僕は暫く震えていた。

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そういったようなことが、何度も繰り返されていた。

そういうのが積み重なって、歪に膨れ上がっていったところに放たれた、「どうして聞いてくれないの!?」は、僕の崩壊の合図だった。

母親は人を頼ることを知らないし、甘え方を知らない。けれど周りや医者からは、「もっと人を頼りなさい」「もっと甘えなさい」と言われる。
やり方をしらないから、極端になる。そしてその極端さに応えられないと、やっとの勇気を絞り出して頼ったのに、甘えたのに、と期待を裏切られたと思って癇癪を起こす。
自分で全て抱えるか、相手に全て委ねるかというやり方しか知らないし、そうならざるを得ない生き方をしてきた。

出来る限り応えてあげたいと思ったし、どうにかしてあげられるならどうにかしたいと思って生きてきた。
それでも応えきれないことは沢山あったし、優しい言葉をいつもかけられるわけではなかったし、そういう自分を責めたりもしてきた。

一生懸命やってきたつもりだった。

それでも母親にとって、僕は「何もしてくれない子供」だった。

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僕は、どこに行けばいいんだろう。

子供という立場を失い、親の親代わりとして期待されて、ただでさえ惰弱な精神を擦り減らして、友人曰く「親のサンドバッグ」に成り果てた僕は、立つことも出来なくなってしまった。

その後くらいに、僕は三日くらい連続で鼻血を出した。
疲れているんだろうな、猛暑でのぼせたんだろうな、と思いながら駅のトイレの洗面所を血まみれにしていたけれど、思えば僕の身体はストレスが掛かると必ず何かアクションを起こすから、正直だ。

そのうち、電車に乗ったはいいけれど、ホームで動けなくなった。お客さんのところへ行かなくちゃ、と思いながら、座り込んだまま動けなくなってしまった。
その日はなんとか仕事を終わらせたけれど、これはもう無理だと悟って次の日以降の仕事を全てキャンセルした。
僕はこういうのをよく知っている。精神が死んでしまった時、身体は動かせなくなるのだ。

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精神的にキツくなってるのと、身体もヤバいので暫く休職すると親に伝えた。

僕はそれなりに丁寧に話したし、理由もきちんと話したはずなんだけれど、まるで僕が仕事が嫌になって「甘え」で辞めようとしてるかのように捉えられているのが後日分かった。

仕事を休むね、と伝えてから、あれの支払いはこれから自分でしろ、家に入れるお金はどうするんだきちんと入れないと許さない、そういったことを言われた。
心も体もボロボロになったところに、金銭の支払いの負荷を追加された。

なんで僕は、骨折して入院してるような状態なのに、金銭の支払いを催促されてるんだろう。
あぁ、いっそ目に見える、馬鹿にも分かる形で車にでも轢かれて入院出来ればよかったのに。

僕の心を轢いたのは、お前らなのに。

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枕を毎日のように涙でぐしょぐしょにしたことはあるか。

目の前にベッドがあるのに床に寝転んで何も出来ないまま数時間経ってたことはあるか。

クローゼットを開けて服を選ぼうとしているのに全く選ぶことができず途方に暮れたことはあるか。

電車に乗っているだけで息ができなくなることはあるか。

上手いこと車に轢かれて出勤しなくて済むようにならないかなと考えながら出勤したことはあるか。

仕事中でも所構わず涙が出てきてどうにもならなくなったことはあるか。

僕はある。そんなことを何年も何年も繰り返して生きている。ほとんど毎日死にたいと思っている。

無自覚に人の心を轢き殺して生きている人間には、分からないだろうなぁ。

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それから暫く、僕は人生で初めて、親と殆ど口をきかなかった。
顔も殆ど合わさず、挨拶以外はほぼ会話がなかった。

「なんで最近あんまり喋ってくれないの?」

母親にそう聞かれたとき、寒気がした。
この人は自分が子供にトドメを刺したことなんて、1ミリも理解してないんだなぁ、と。

「おかんのこと嫌いなの?」

そういう質問が、僕を一番追い詰めることを、理解していない。

正直に嫌いだって言ったら傷付くでしょう?傷付く上に、被害者ヅラして僕を責めるでしょう?「お前に私はこんなに気を遣ってやってるのに」って、責めるでしょう?

「嫌いとかじゃないよ。ただ今はしんどいからそっとしといて欲しい」そんな風に僕は、"嫌われていない安心感を母親に持たせること"を優先して言葉を選んだ。

僕は言葉を選ぶのが上手だから。

僕は、心が死ぬのも、慣れてるから。

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