アイノカタチ

 愛されているなあ。幸せだなあ。と思う。


 先日は22回目の誕生日だった。小さい頃は家族の前でふーーーっとろうそくの火を消して、イチゴがたくさんのったショートケーキを頬張るあの瞬間が大好きだった。いつもと違う非日常が味わえる日。特別だった。

 そんな私も22歳になって、誕生日に抱く特別感、みたいなものはいつの間にか忘れていた。この年になればおめでとうくらい友達に言ってもらえるけれどそれだけだ。誕生日は特別な1日ではないし、年を取ることになんの嬉しさもない。この年になっても母はいつもケーキを用意してくれるけれど、今年は家庭の事情で母がしばらく家を離れているからケーキもなしか~なんてぼんやり考えていた。


 そんなわけで誕生日も普通に学校に行って授業を受けていたら、授業中に母からLINEが来た。誕生日おめでとう、ちょうどこれくらいの時間に生まれたんだよ、しっかり育ってくれてありがとう、と。自分が生まれた時間なんて初めて知った。誕生日もいつもと同じ日常だと思っていたのになんだか特別な1日になった気がした。


 後でこっそり母のSNSをのぞいてみたら、「今日は長女の誕生日。離れて祝う初めての誕生日。初めての子、初めての育児、失敗も、うまくいかないことも沢山あったけれど、生まれてきてくれてありがとう。彼女は私の誇りです」って書いてあった。

 嬉しかった。

 「こちらこそここまで育ててくれてありがとう」くらい言ってみたかったけれど、言えなかった。「22歳頑張ります」と一言だけLINEを返した。

 ちょうど22年前、小さく産まれてきて一時は命さえ危ぶまれた私に、せめて名前だけでも明るく大きく、と両親はこの名前をつけた。今のわたしはその願い通りに育つことはできたんだろうか。

 自分の誕生日に対する特別感を忘れてしまったのは、親もきっと同じだろうとずっと思っていた。誕生日プレゼントもいつの間にかもらえなくなって、ただケーキを食べる日でしかなかった。でも違ったみたい。改めて口にすることなんてないけれど、親っていうのは何歳になっても子供の成長を喜んでくれるものなのかなって考えたりもした。きっとこれからも、帰る時間が遅いだとか些細なことで何度もぶつかり合ってそのたびに「あんたは何年反抗期やるの!!」って言われるだろうって簡単に想像つくけど、私は知ってる、たくさんたくさん愛してくれてるということを。いつかこの愛を倍にして返してやりたいな。


 結局、最終的にはケーキもない誕生日だったけれど、普段会わないのにLINEをくれた人がいて、学校につくとバースデーソングを歌ってくれる人たちがいて、プレゼントをくれた友達がいて。るろうに剣心を観て、一緒においしいお寿司を食べに行ってくれる人がいて。

 幸せだなと思った。

 誕生日、何をするか、だれと過ごすか、年齢に応じて変わっていくものだけれど、ずっと変わらずに愛を届けてくれる人がいるのもまた事実だ。


 ありがとう、

 22歳。私も誰かを想える1年にしたいです。

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