『成瀬は天下をとりに行く』ー膳所から来ました。

想定よりも早いスパンでこれを書くことになっている。
私の読書の時間は、少し早く出社した30分と昼休憩の30分だ。
故に1日1時間程度しか本を読む時間を取っていないが、それでも1日に1つの章を終える。
この小説はかなり短編集的な作品だ。アニメであれば1話完結型。
1人の主人公が「今日は◯◯するよ!」と言って、周りはやれやれとその1話を使って振り回される。
近い例を出せばこち亀だろう。
読む前は、てっきりこの本一冊を使って、例えば町おこしアイドルになるだとか、何かの大会で優勝するまでの軌跡を追うのかと思っていたけれど、そうではない。
確かにそんな内容であれば『天下を取りにいく』は大それている。
しかしその大それていること自体が、この本を構成する一つのルールだったのだ。

ルール1.成瀬は大それたことを言う
ルール2.島崎はそれにやれやれと乗る
ルール3.成瀬と島崎は結果の如何は問わずやり遂げる

今の所この3つが、この話を構成している。

さて、それで成瀬は今回どんな大それた宣言をしたかと言うとお笑いの大会であるM-1グランプリに出ると言うのだ。もちろん相方は島崎だ。島崎は例によって嫌々のように見えて次第に前のめりになっていく。まずは腕試しにと学祭に出る。そして本番を迎える。

こうあらすじを書いて見て改めて思ったが、一章に比べて内容が少し薄い。
多分これは作者の想像力の問題だ。
少女が毎日デパートに足を運ぶことで起き得ることは想像できるが、M-1グランプリに挑むことで生じる事は想像の先にあったのだろう。言いかえれば、ここで生じるストーリーを想像できるほど葛藤も苦悩も知らなかったのだと思う。
故にこの章は動かない。話にほとんど抑揚が感じられない。

他方でいいなと言う文章もあったので、最後はこれを紹介して終わる。

「思いついた。カタカナで『ゼゼカラ』。膳所から来ましたゼゼカラです! って言って、ネタをはじめるの」

成瀬は天下を取りにいく

このセリフのセリフ感が凄くいいなと思った。
普通こんな事は言わない。でも、小説で場面を動かすために使われる一文。
コピーライターの糸井重里さんが言っていた。「愛している」と言う言葉は小説や口で言うと野暮ったく聞こえてしまうが、ゲームの中であればそれが馴染む。
これと同じような、小説だからこそ使われる一文を感じた。
声に出した途端にわざとらしいセリフになってしまう。

これまでただの視聴者として気楽に見ていたのに、どうしてこんなボケを思いつくのだろうとか、あのツッコミのタイミングはすごいとか、演者側の視点が芽生えてくる。

成瀬は天下を取りにいく

「わたしが二百歳まで生きるって言って、島崎が『それならわたしは三百歳まで生きる』ってボケもいいと思うのだが」  
成瀬が提示した案も良さそうな気がする。こんなに正解がわからないものだとは思わなかった。だからこそ多くの芸人志望者が養成所に通うのだろう。一周回って成瀬の書いた野球ネタも悪くない気がしてきた。 「思った以上に難しいな」

成瀬は天下を取りにいく

多分だけど、この2つがこの章で書きたかったことなのかなぁと思った。

「うーん、わたしはしぶしぶ付き合ってるってことにしていい?」

成瀬は天下を取りにいく

成瀬が他人の目を気にしない人間であるのに対し、島崎が如何に他人の目を気にする自意識の人間であるかが表現されている。
普通多分こんなことは自意識の人間であれば言えないが、言えてしまうのが成瀬の懐の深さとそれをある意味で信用している島崎の関係なのだろう。

成瀬が「今日の島崎めちゃくちゃ面白かったぞ」と興奮気味にわたしの背中を叩いた。

成瀬は天下を取りにいく

数少ない成瀬の人間味が表現される場面。ただ多分、島崎をはじめとして私たちが感知できる表現としての閾値を超えたのがこの場面なだけであって、成瀬は普段から考え、感じているんだろうなと思わせてくれる。
今のところでは、成瀬は話を進めるために設定されたキャラクターが先行して、成瀬本人が見えてこないが、今後はこう言ったところから成瀬自身が紐解かれていくことを期待したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?