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互いを消し合う

私がAという選択をした時、同時にAをしないという選択をしている。そうした選択の連続の結果が今の私を作っている、ということになるわけだ。しかし果たして私は私なのか。どうして選びとられた側だと私は判断できるのか

選ばれなかった側だという可能性を無意識に否定しているよな。

選びとる「私」とは誰なんだよ。いやそもそも私ってなんだよ。っていう私ってなn……

帰ってこれません。。迷子になりました

いや、だからなにって話だけどさ。それ言ったらおしまいだけど、気にならない?選ばないという選択をされた自分自身は、きっと私という存在の可能性を否定するだろう。

構造的に、選んできた自分vs選ばれなかった自分 選ぶ自分、となってて互いが互いの存在を消し合っている。

誰もが自分こそが本物だと信じて生きている。もちろん私だって自分こそ本物なのだと信じたい。

ただ、1パーセントでも可能性があるなら、いつかその時-自分の存在基盤が足元から揺らされる時-を覚悟しなければならない。

もしあなたがあり得た自分と対面した時、あなたはあなたでいられますか?






選ぶ私「私、とは」

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