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クリエイターと向き合う仕事は属人的であるべきか

僕のいるエンタメコンテンツの業界では、仕事の属人性について、いつも議論が巻き起こっています。

要は、人に仕事について回ることをどこまで許容するのか、という組織論です。

この議論に踏み込む前に、一つ確定的であるのは、コンテンツを生み出すクリエイターは、そう易々とは変えられないということです。

クリエイターの力なくして、素晴らしいコンテンツは絶対に生み出されません。私たち組織の人間は、いかにクリエイターから素晴らしい才能を引き出し、それをビジネスに繋げていくかが、最大の命題なのです。


そういうことを念頭に置くと、組織における人員の貼りつけ方は、なかなかナイーブです。

というのも、クリエイターに付き添うディレクター、プロデューサー、編集者もまた、コンテンツクリエイトにおける替え難いメンバーだからです。

「はい、人事異動です、今日から別の担当者です」とは簡単にはいきません。

組織からすれば、担当者は単なる窓口ですから、ここを変えて何が悪いという話ですが、エンタメコンテンツの世界においてはそうではありません。

継続性のあるコンテンツを手掛けている場合には、担当者は既にクリエイティブの一部を担う重要な存在だからです。


人を変えるとなれば、その人の考え方や仕事ぶり、人間関係、性格などを考慮して丁寧に引継ぎを行い、クリエイティブ自体もスムーズに継続させなくてはなりません。

その意味で、クリエイターに付き添うディレクター、プロデューサー、編集者は、極めて俗人的な仕事をしている人だと言えます。よって、一担当という矮小化をして、乱暴に異動させることはあってはなりません。


その一方で、クリエイターに付き添う人たちが、自分も100%クリエイターだという顔をするのも問題があります。

クリエイターと懇(ねんご)ろだからと言って、組織の都合を無視して、仕事を手放さないやり方もよろしくありません。「僕がいなければこの事業が回らないんだ」という仕事のやり方は間違っていますし、ある種の奢りを感じるところです。

組織人である限り、組織の大きな方針には従わなくてはなりません。組織が個人を尊重しなくてはならないのと同時に、個人も組織の一員であるという自覚は必要です。


自分の手掛けている仕事を誰でもできるような扱いにされたり、責任感を持ってコンテンツを生み出そうとしているのに、一担当者呼ばわりされて、安易な異動を命じられるのは不本意です。

かと言って、自分がいなければ物事進まないのだという体制作りや、必要以上のプライドを持つことも、組織人としては失格です。


つまりはバランスなのかも知れません。

「俺がいないと始まらない」というプライドと、「俺がいなくてもこのチームは回るはず」という体制作り。この両輪のバランスを取りながら、とにかく良いものを作って顧客やユーザーに届けるという最終地点を目指すのが、あるべき姿と考えます。


クリエイターと向き合う仕事は属人的であるべきか。

この問いについては、間違いなく「そうだ」と言えます。しかし、属人的な側面が強いからこそ、担当の引継ぎは丁寧であるべきですし、本人も属人的になりすぎないように心がけることも重要です。

組織と個人がきちんと尊敬しあえる環境こそが、大事なのだと思います。


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